進化した山の辺の道を行くその5  旅の安全を祈願した大和神社 戦艦「大和」展示室もあり

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遣唐使も参拝した大和神社

2025年4月29日(火)、日本最古の神宮の1つ・石上(いそのかみ)神宮から、日本最古の道・山の辺の道を歩いて、近鉄桜井駅を目指すことにしました。山の辺の道を歩くのは、本当に久しぶり。

進化した山の辺の道を行くその4  竹ノ内集落から大和神社参道へ

2025年5月11日

進化した山の辺の道を行くその3  内山永久寺跡から竹ノ内集落へ

2025年5月10日

進化した山の辺の道を行くその2  石上神宮から内山永久寺跡へ

2025年5月9日

進化した山の辺の道を行くその1  天理市の起点・石上神宮

2025年5月8日

腰痛にご利益があるという「舟渡地蔵」を参拝した後は、山の辺の道のメインルートから少し外れた「大和(おおやまと)神社」に行ってみました。

こいのぼりがなびく参道を通り過ぎると

日本大国魂大神(やまとのおおくにたまのかみ)などを祀る拝殿。この神社には多くのご利益がありますが、特に旅の安全を祈願する場所として知られています。

元々天照大神と日本大国魂大神は、古代から宮中で一緒に祀られていましたが、第10代崇神天皇はこの神々の神威の強さを怖れ、宮の外で祀ることにしたのです。日本大国魂大神は、崇神天皇の皇女・渟名城入姫命(ぬなきいりひめのみこと)に預けて祀らせましたが、彼女の髪が落ち、体もやせて、祀ることができませんでした。

その後夢のお告げにより、倭国造(やまとのくにのみやつこ)の祖・市磯長尾市(いちしのながおち)が祭祀になると国内は鎮まったとか。なかなかパワーのある神のようです。御朱印(500円)も頂きました。

奈良時代には、遣唐使の一行が出発に際して大和神社に参詣し、旅の無事を祈りました。第9次遣唐使の大使・多治比広成(たじひのひろなり)の無事の帰国を祈って作られた山上憶良「好去好来の歌」の石碑が境内にあります。

好去とは「さようなら」、好来とは「御無事で帰還を」の意味なのだとか。当時の航海技術や渡航の時期を考えれば、命がけの任務だった遣唐使。日本大国魂大神への祈りが、歌の中にも込められていました。

存在感抜群の高龗神社

拝殿と同じくらい存在感があったのが、摂社の高龗(たかおおかみ)神社。書くのも読むのも難しい漢字「龗」(おかみ)は龍の古語で、水や雨を司る龍神を祀っている神社です。

鳥居とたくさんの幟(のぼり)が色鮮やか。

神社のHPによると水は商いにも通じ、商売繁盛や辰年生まれの人々の出世開運という御利益もあるのだとか。天候を司る神でもあるので、雨乞いや晴れて欲しいと祈るときには、この神社に祈るといいのかな。

1本3,000円の幟を奉納すると、更にご利益がありそうです。

戦艦大和の守護神だった

有名な戦艦「大和」には、大和神社祭神の分霊が、艦内神社として祀られていました。

そのゆかりで、戦艦「大和」の展示室が境内にあります。

プラモデルや

1945(昭和20)年4月に撃沈した時に戦死した、第二艦隊司令長官や艦長らの写真。3,056人と言われる戦死者を想うと、とても哀しく厳粛な気持ちになります。私たちが平和に旅をし、観光できるのも平和あればこそ。現在世界各地で起きている戦争や紛争が、早く収まってくれることを切に願います。

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