進化した山の辺の道を行くその10  玄賓庵から大神神社の摂社・大直禰子神社へ

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謡曲『三輪』の舞台・玄賓庵

2025年4月29日(火)、久しぶりに日本最古の道・山の辺の道を歩く機会がありました。崇神天皇陵や景行天皇陵の側を通り、知られざる藤の名所・大香園や檜原(ひばら)神社を訪れたのち

進化した山の辺の道を行くその9  元伊勢・檜原神社

2025年5月16日

進化した山の辺の道を行くその8  景行天皇陵と知られざる藤の名所・大香園

2025年5月15日

進化した山の辺の道を行くその7  人麻呂の歌碑と崇神天皇陵

2025年5月14日

檜原神社から、大神(おおみわ)神社を目指して歩きます。

しばらく歩くと、涼しげな水音。小さな滝があり

その近くには、かなり由緒ありげな石塔。誰かのお墓なのかな?

さらに進むと「玄賓庵(げんぴあん)」という寺院に出ました。世阿弥作の謡曲『三輪』の舞台になっている場所で、桓武天皇や嵯峨天皇の信任が厚かった高僧・玄賓(げんぴん)が住んでいた庵。

俗世の出世や名声を厭い、この場所に隠れ住んでいた彼の庵に、花とお供えの水を持って毎日やってくる里の女性がいました。実はその女性は三輪明神の化身で、玄賓に接して仏道に縁を結ぶことができたと喜び、神話を語り舞を舞うというお話。その舞台にふさわしい、静かなたたずまいのいいお寺でしたが

「神域の為、境内撮影禁止」と門の側に立札がありました。写真でお伝え出来ないのが残念です。

元々寺院だった大直禰子神社

玄賓庵を過ぎると、目の前に大きな鳥居が見えてきました。

昭和天皇の在位60年を記念して建てられたという、大神神社の大鳥居。日本一の大鳥居とか。

大神神社まではもうすぐ! と喜んだのもつかの間、再び山の辺の道の道標を見失ってしまいました。

グーグルマップを頼りに大神神社を目指し、まずたどり着いたのが、大神神社の摂社の1つ・大直禰子(おおたたねこ)神社。大直禰子(「おおた たねこ」ではなく、「おお たたねこ」だそう)は大物主神(オオモノヌシノカミ)の子(子孫とも)で、崇神天皇の時代の人。

疫病や反逆など国に禍が起こり、天皇が占ったところ、夢に大物主神が現れ、自分の子の大直禰子に自分を祀らせれば禍は除かれると告げました。天皇は大直禰子を探し出し、お告げの通りにしたところ国は鎮まり天下泰平。さらに天皇は彼に、三輪山の神を祀らせたという話が伝わっています。

この神社は、そんな大直禰子が祭神。別名「若宮社」とも呼ばれていますが、本来は大神神社の境内に建てられた寺院・大輪寺(おおみわでら)の本堂でした。確かに神社と言うよりは寺院の方がふさわしい外観です。神仏習合時代、神社に附属して建てられた「神宮寺」の貴重な遺構なのだとか。

面白いなと思ったのが、この御饌石(みけいし)。正月のご神火まつりの時、知恵の神・久延彦(くえひこ=案山子)神社に神饌をお供えする石で、久延彦神社にお参りできない人は、ここから遙拝するといいみたい。案山子の神も好きなのですが、山の上にあるらしく、ちょっと大変そうなのでここから遙拝しました。どうか知恵をお授けください。

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