フエ郊外の帝廟巡り  グエン朝の最盛期に君臨したミンマン帝の陵墓は広大!

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最も規模が大きいミンマン帝廟

2025年8月25日(月)、この日は午前中フエ観光です。まずカイディン帝陵を見学し、約100年前に建てられたきらびやかな霊廟に驚いた後は

フエ郊外の帝廟巡り  東洋と西洋が融合したカイディン帝陵は、20世紀の豪華な霊廟

2025年10月13日

半日チャーターすることになったGrabタクシー運転手に、ミンマン帝陵へ行くよう依頼。

車では10分足らず。フエ市街中心部からは15km離れた、小高い山の上にミンマン帝陵はありました。ここも入場料は150.000ドン。

阮(グエン)朝の第2代皇帝だったミンマン(明命)帝(在位1820~41年 日本では江戸幕府11代将軍徳川家斉時代)は、グエン朝の最盛期の皇帝だったらしく、フエ郊外にある皇帝たちの陵墓の中で、最も広い敷地面積を誇っています。

全景はこんな感じなのかな。ドローンで見てみたい!

一番手前に描かれている赤い扉の門は、正門の大紅門。中央の扉は、皇帝の遺体を運び込んだときだけ開けられたとか。

カイディン帝陵にもあった、陵墓を守る家臣や馬、

ゾウの石像もありました。

皇帝の偉業をたたえる石碑(聖徳神功碑)

が安置された碑亭。

一直線上に見えている顕徳門を抜けると

寝殿(礼拝堂)の祟恩殿。

皇帝と皇后の位牌が祀られています。

ミンマン帝はキリスト教など西洋文化を排斥し、儒教思想を重視していました。そのため建物は、中国の明・清時代の皇帝陵墓の影響を受けているのだとか。カイディン帝陵とは全く雰囲気が違いますね。

皇帝の遺体はどこへ

祟恩殿を出ると、見えてくるのが明楼という建物。

建物の中には、皇帝が生前愛用していた寝台が安置されているそうです。

そしてそのさらに奥にあるのが、三日月型の新月池と聡明正直橋。

三日月は、皇帝崩御を表しているそうです。蓮の花が咲いていました。極楽浄土を表しているみたいですね。

この橋を渡った奥の墳丘が、皇帝の墓所なのですが、ミンマン帝はここには埋葬されておらず、どこに埋葬されているかもわからないそうなのです。これには驚き。こんなに広大な霊廟を作っておきながら(専用門まであるのに)、なぜここに埋葬しなかったんだろう? そしてこれはミンマン帝ばかりでなく、他の皇帝たちの埋葬場所も、カイディン帝以外はわからないのだとか(カイディン帝の子でラストエンペラーとなったバオダイ帝は、フランスに亡命して一般人として亡くなり、パリの墓地に埋葬されています)。

墓所に遺体がないのは、盗掘を怖れたからかな? 謎は深まるばかりです。

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