フエ王宮は広大な「Imperial City」
2025年8月25日(月)、この日は午前中フエ観光です。カイディン帝陵やミンマン帝陵、トゥドゥック帝陵を見学した私たちは
最後の見学先、阮(グエン)朝のフエ王宮へと向かいました。
フエ旧市街にある王宮までは、車で15分ほど。カイディン帝陵からずっと付き合ってくれた押しの強い運転手さんとも、フエ王宮でお別れです。
よく見たら、車には布袋(ほてい)様の小さな像。日本以上に、布袋様は人気がありそうでした。
阮(グエン)朝のフエ王宮は、中国の紫禁城を模して建てられたとても広い王宮。運転手さんに、どこで停めたらいいか尋ねられ(門は東西南北に1つずつあり)、とりあえず正門の午門で降車。運転手さんに、待ち時間代やチップも含め20米ドルを払うと、とても喜んでくれました。
見どころいっぱいの午門
午門には、皇帝が使用する中央の門、その左右に文官(右)と武官(左)、更にその左右に兵士や馬、ゾウが使用する合計5つの門があり
2階に上がることもできました。
新年の挨拶と科挙の合格発表の時、皇帝がここに姿を現したそうです。
皇帝が見た景色!
当時と違って、今は真正面にフラッグタワーがあり
中国から授けられた、金印(多分レプリカ)の展示室もありました。
日本の「金印」を思い出しますね。
中国では、夜の時間を告げる時は城門で太鼓を鳴らし
朝の時間を告げる時には、城門で鐘を鳴らしていたそうです。ベトナムもそれに倣ったのかな。
撮影禁止で涙を呑んだ太和殿
午門を出て、最初に見えてくるのが、太和(タイホア)殿。皇帝が即位式など重大な儀式を行う場で、日本の大極殿に相当します。
ただ日本とは異なり、皇后や皇帝生母といえども、太和殿に女性は入れなかったそう。
中国風の立派な宮殿ですが、実はベトナム戦争で破壊され、1970年に再建されたとか。
内部もきらびやかだったのですが、残念ながら、玉座のある内部は撮影禁止でした。
朱色の回廊と、豪華な建中殿に感動
フエの王宮はとても広くて、朝から帝陵を3つ見学していた私たちは、かなりバテバテ。
顕臨閣という建物も見えたのですが、遠くから見るだけにして(実は裏手に、王権の象徴である9つの大きな鼎=かなえ があったそう)
YouTubeで紹介されていた、朱色の回廊を歩いてみました。
さすが人気スポットだけあって、たくさんの人が訪れていました。
元々は宮殿の多くの建物を繋いでいましたが、インドシナ戦争で建物は失われ、回廊だけが残ったとか。
天井や壁の朱色だけでなく、装飾も美しいです。
回廊には、皇族のメンバーらしき方々の写真も飾られていました。
さらに北に進むと、昨年(2024年)2月に一般公開されたばかりの、建中(キエンチュン)殿。
グエン朝末期のカイディン帝と、その子バオダイ帝(最後の皇帝)の居住地兼執務室で、1921年に建設されたのですが、ベトナム戦争で破壊されたのです。あのカイディン帝が建てただけあって、アジアとヨーロッパの建築様式が、ここでも融合しています。
内部も豪華絢爛。
バオダイ帝の写真や
皇后の写真もありました。
他にも多くの側室がいたそうです。
建中殿前の庭園にあった四阿(あずまや)には
きらびやかな椅子やテーブルが置かれていました。
広大な王宮の半分も見ていませんが、体力と相談してここで見学終了。王宮から出るために入場した午門に引き返したら、午門は入場専用で、出口はかなり離れた場所にあると知り(東の顕仁門)、更に歩く羽目になってしまいました。








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