2025年秋の京都を訪ねて5  寺町通を歩く(大原口道標~下御霊神社)

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史跡が目白押しの寺町通

2025年11月20日(木)、久々に京都を訪れました。最初の目的地は、京都府立植物園。園内の「なからぎの森」で紅葉を楽しみ、、観覧温室や西洋花壇で珍しい木々や美しい花々を見た後

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老舗の有名餅屋「出町ふたば」を目指して北山通から賀茂川沿いに歩いたものの、あまりの行列にギブアップ。

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枡形商店街を抜けて寺町通へ出て、そのままどんどん南へ歩くことにしました。

まず見つけたのが、「大原口道標」。ここは北へ行けば大原から若狭へ、東へ行けば鴨川を越えて大津へ抜ける交通の要衝だったのです。

南へ進むと、きれいな花が供えられたお地蔵さま(扇町地蔵尊)。

さらに南に進み、鎌倉時代の歌人として有名な藤原定家晩年の邸宅・一条京極第(てい)があった場所に建つのは、歴史を感じさせる京都市立京極小学校。開校は明治2年で、日本で64番目にできた小学校らしいです。

昭和13(1938)年に完成した本館の玄関。石を貼った入口が素敵ですが、この石は「竜山石(たつやまいし)」という兵庫県(高砂市・加古川市)産のブランド石。この頃の京都市は、財政が豊かだったのでしょうか。

紫式部の邸宅があったと伝わる廬山寺(ろざんじ)

同支社を設立した新島襄と妻の八重が過ごした「新島旧邸」もありました。今回は撮影しそびれましたが、明治維新で活躍した公家の三条実美(さねとみ)を祀る梨木神社や名水「染井の水」など、寺町通は史跡や寺社が多く、歩いていてとても楽しい道でした。

『陰陽師』の世界 下御霊神社

その中でも印象に残った寺社の1つが、下御霊(しもごりょう)神社

京都御所や丸太町通りを過ぎると見えてくる、立派な鳥居の神社です。

平安時代前期に各地で疫病が流行すると、これは御霊=政争に敗れ不慮の死を遂げた早良(さわら)親王、伊予親王、藤原吉子(伊予親王の母)、藤原広嗣、橘逸勢、文屋宮田麻呂の祟りであるとされました。早良親王と言えば、映画『陰陽師』にも登場した桓武天皇の弟で元皇太子。自分の息子を皇太子に望む桓武天皇により、謀反の罪で流罪となりますが、無実を訴えて飲食を断ち、餓死したという人物です。

伊予親王は桓武天皇の第三皇子で、異母兄平城(へいぜい)天皇への謀反の罪で幽閉され、食を断たれて母子ともに毒を飲んで自害。藤原広嗣(ひろつぐ)は奈良時代、九州で反乱を起こし敗死。「三筆」の1人としても有名な橘逸勢(たちばなのはやなり)は、「承和の変」で謀反人とされ流罪(移送中に死亡)。文屋宮田麻呂(ふんやのみやたまろ)も、謀反の罪で流罪となっています。

清和天皇時代の863年、この人々の怨霊を鎮めるため、神泉苑(しんせんえん 大内裏に接して造営された、天皇の庭園)で御霊会(ごりょうえ)が行われました。

この時祀られた6座に、6座の神霊の優しく平和的な側面・和魂(にぎみたま)とされる吉備聖霊(きびしょうりょう)、6座の神霊の荒々しい側面・荒魂(あらみたま)とされる火雷天神の、八所御霊がご祭神。

早速参拝のため境内へ。病気平癒や厄除けのご利益があるとされています。

まだまだコロナも油断できないし、最近はインフルエンザも心配なのでしっかり参拝。

「下御霊神社」と対になる「上御霊(かみごりょう)神社」も、上京区にあったのでした。いつか上御霊神社にも行ってみたいな。

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