河岸段丘の城跡に建つ謎の神社「白星大明神」
NHK大河ドラマ『豊臣兄弟!』を毎週楽しく見ているのですが、昨年、豊臣秀長ゆかりの地を巡る機会がありました。その1つが、神戸市北区の淡河(おうご)城。1日3便しかない神姫バスの神戸三宮~吉川(よかわ)図書館前方面のバスに乗り、最寄り駅のバス停「下河原」で下車し、
徒歩10分ほどで、目的地に到着。あちこちに道標もあって、地元の人々によって守られているなと感じます。
城跡は、丘(説明版によると河岸段丘)の上にありました。この辺りに大手門があったのかな?
現在は「淡河城跡市民公園」として整備されています。立派な石碑もありました。
城跡には、神社が祀られています。どうもお稲荷さんみたい。
「正一位白星大明神」が正式な祭神名。でもあまり聞かない神の名です。白い星=太白=金星とも関係あるのかな?
謎が多いですが、土俵や割拝殿もあって、かなり大きな神社です。
割拝殿の中には、淡河城の歴史や、神社での相撲大会や祭?の様子など、地域の人々の活動が感じられる写真が展示されていました。
豊臣秀長軍を苦しめた淡河城
淡河城の歴史については、城跡の顕彰碑や
割拝殿に掲示されていた資料に、詳しく紹介されていました。それによると、淡河城の初代城主は、北条時房(『鎌倉殿の13人』で瀬戸康史君が演じた「トキューサ」 政子や義時らの弟)の孫で、この辺り(淡河荘)を領有した北条時治。彼は「淡河時治」と名乗り、子孫は代々淡河氏と称するようになりました。
戦国時代の当主・淡河定範(おうご さだのり)は別所氏から妻を迎え、三木城主の別所長治が幼い頃は、後見として尽くしたのだとか。羽柴秀吉の播磨攻略の際、最初織田方についていた別所長治が裏切って三木合戦が勃発した際には、淡河城は三木城への食糧補給基地となっていたそうです。
淡河城は秀長軍の攻撃を受けますが。淡河定範は事前に撒菱(まきびし)や逆茂木(さかもぎ)などで城の防御を固め、近在より牝馬を集めました。秀長軍は撒菱で足を痛める者が続出。さらに秀長軍へ牝馬が放たれ、去勢していなかった当時の軍馬が制御不能となる大混乱をきたしたそうです。
このような戦法で秀長軍を破った淡河定範ですが、秀長軍が再度(多分倍の軍勢で)攻のてきたら、兵力の少ない自分たちに勝ち目はないと判断し、城に火を放って一族・郎党300人余りが整然と三木城に退却したとか。
その後の淡河定範については、三木合戦での討ち死に説や生存説など諸説あり。個人的にはなかなか頭の良さそうな人だし、何とか生き延びていてほしかったなと思いました。
それにしても、牝馬投入作戦なんて面白すぎ! 大河ドラマで再現してくれないかな。





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