知られざる神戸の史跡を巡る旅5  神戸で小泉八雲が暮らした場所を訪ねて(中編)

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偶然通りかかった関帝廟

2025年の春、NHK大河ドラマ『豊臣兄弟!』ゆかりの神戸市北区の淡河(おうご)城(豊臣秀長が苦戦した城)を訪れた私たちは。

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知られざる神戸の史跡を巡る旅4  神戸で小泉八雲が暮らした場所を訪ねて(前編)

2026年3月1日

八雲の「神戸第二の家」があった、兵庫県中央労働センターを目指して再び徒歩で移動しました。

同じ中央区で、徒歩約10分ほどの近距離です。その途中、面白い建物がありました。

中国風のこの建物。名前だけは知っていたけれど、訪れるのは初めての、神戸の関帝廟。

こんな所にあったとは。もっと元町の中華街に近い場所にあるのかなと思っていました。

『三国志』の英雄として知られる関羽さんは、塩の密売に関わっていたという民間伝承があり、義に厚いとされる事から商売の神として祭られたようで、世界で華僑がいるところ、常に彼を祀る関帝廟があるのだとか。

神戸も例外ではありません。

こちらも境内に桜が咲いていて、春らしい雰囲気でした。

ラフカディオ・ハーンが日本国籍取得を決意した、「神戸第二の家」

関帝廟から兵庫県中央労働センターまでは、徒歩5分ほど。

この施設には貸会議室やホールなどがあるのですが

敷地内には立派な「小泉八雲旧居跡碑」があり、小泉八雲の神戸時代を知ることができます。

この場所は「神戸市下山手通6丁目26番地」で、1895(明治28)年7月に、ハーン一家が移り住みました。実は神戸で、小泉八雲関係の立派な石碑が建っているのは、ここだけなのです。その埋め合わせのように、中央労働センターの1階ロビーや図書館内には「小泉八雲コーナー」があるのですが

残念ながら、資料関係は撮影禁止。でも資料はなかなか見ごたえがあって、一見の価値ありです。

この場所に住んでいた頃、ハーンは自分の死後の相続問題について考えていました。当時、彼と小泉セツとは正式に結婚しておらず、内縁関係。そのため2人の間に長男の一雄が生まれているにも関わらず、もしハーンが死ねば、法律上彼の財産は全て、アメリカ在住の実弟や、ロンドン在住の異母妹に相続されることになっていました。彼は愛する妻や子供に財産を遺そうと、セツと正式に国際結婚して小泉家の戸籍に入る道(帰化)を選びます。

島根県知事や松江市長と何度も書類をやり取りするなど、帰化手続きは大変だったようですが、セツや小泉家の人々、そして友人たちの協力で、翌年2月、日本で191番目の国際結婚が認められ、ハーンは「小泉八雲」となりました。この時にはこの家から、第三の家(現・宇治川公園)に移っていましたが。

ともあれ、ラフカディオ・ハーンから小泉八雲になろうとした場所として、ここは記念すべき場所だなと思いました。

なお、この建物の北隣には、幕末に通訳・貿易商として活躍し、初の民間新聞創始者で「新聞の父」と呼ばれるジョセフ・ヒコ(浜田彦蔵)の旧宅跡碑があります。1875(明治8)年~1881(明治21)年に彼はここで過ごしたというから、ハーン一家と近所づきあいはしていなかったよう。

アメリカ国籍を取得し、クリスチャンとなった浜田彦蔵は、兵庫県加古郡播磨町出身。「小泉八雲コーナー」を見て、初めて彼のことを知ることもできました。

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