コウノトリのぬいぐるみが多い理由
コルマールで目立つのが、土産物屋の軒先で売られているコウノトリのぬいぐるみ。
どのコウノトリもとても可愛い。
ぬいぐるみだけでなく、コウノトリをあしらった色々な看板もありました。
コウノトリはアルザス地方のシンボルのようで、コルマールだけでなく、ストラスブールでもよく目立っていました。
アルザス地方は湿地帯が多く、コウノトリの餌が豊富にあります。
繁殖にも都合がいいため、フランスで最も多くコウノトリが生息している場所らしいです。
実際コルマールで、何気なく空を見上げていたら、大きな白い鳥が4羽、悠々と空を飛んでいくのが見えました。
あれは絶対コウノトリです。
また、ブフィスタ邸に行ったとき、その近くのサン・マルタン教会の屋根の上に、コウノトリの巣があって、親鳥がいるのも目撃しました(赤い屋根の右端)。
海外でコウノトリを見たのは、生まれて初めてでした。
くちばしをカタカタ言わせるクラッタリングをしていて、仲間との合図なのか、かなり大きな音で、遠くまで聞こえました。
日本のコウノトリとは違う!
ヨーロッパや北アフリカ、中近東にいるコウノトリは、厳密に言うと、コウノトリの一種で「シュバシコウ」と言います。
くちばしの赤いコウノトリ、という意味です。
日本のコウノトリは、くちばしが黒いです。
2012年9月、兵庫県豊岡市の「コウノトリの郷公園」に行ったことがあり、そこで初めて間近にコウノトリの剥製を見ました。
コウノトリには申し訳ないのですが、とても目つきが怖くて、可愛い鳥とは思えなかった記憶があります。
目の周りの赤い輪(アイリング)のせいでしょうか。
シュバシコウの写真をネットで見ましたが、目の周りには赤いアイリングがないようです。
これならやっぱり、ぬいぐるみと同じように可愛いかな。
ヨーロッパではいい鳥 日本では(時々)悪い鳥
日本のコウノトリと、西洋のコウノトリ(シュバシコウ)の大きな違いが、コウノトリに対するイメージだと言われます。
西洋の場合は、シュバシコウが主に食べる蛙やトカゲ、蛇などの両生類や爬虫類は、悪魔の仲間や害虫とされていました。
それを食べるシュバシコウは、聖性を表現するとされ、正義を体現するものとされたようです。
高い塔や屋根の上に巣を作り、カップルで子育てをする姿から、家族を大切にする鳥と考えられ、赤ん坊や幸運を運ぶ鳥と信じられて、人々に愛されました。
現在ドイツやリトアニアでは国鳥、ストラスブールでは市鳥とされているようです。
ちなみに、NHK『世界ふれあい街歩き』のサイトには、
「コウノトリのぬいぐるみを持つと、子宝に恵まれると言われています。」
と、紹介されていました。
一方日本のコウノトリの場合、そんなにいい伝説に恵まれていないというのが気の毒です。
兵庫県豊岡市下宮に鎮座する久久比神社には日本で唯一のコウノトリにまつわる伝説が残されている。
七つの外湯めぐりで形成される城崎温泉には、七つの外湯のひとつにコウノトリが傷を癒していた事により発見したと伝説が伝わる、鴻の湯がある。
これだけなのです。
豊岡市に住んでいる親戚(米作農家)の話では、昔は普通にコウノトリが田んぼにいて、特別なものではなかったとのこと。
むしろ、「田んぼの稲を踏み荒らす悪い鳥」として、害鳥扱いする農家が多かったようです。
太平洋戦争前後の食糧難の時代には、コウノトリを食べていたこともあったとか。
コウノトリを守れ!
豊岡市周辺では、出石藩主の仙石氏が、江戸時代にコウノトリを瑞鳥(めでたい鳥)として、狩猟を禁じていました。
逆に言うと、それまでは狩猟の獲物として、他の鳥と同様に普通に食べていたのでしょう。
1904年(明治37年)には、当時の兵庫県知事が、コウノトリの生息地である鶴山(豊岡市出石町)を、猟銃禁止にしています。
戦後もコウノトリ保護の動きは続きましたが、農薬散布や減反政策の影響などもあり、1986年(昭和61年)、日本のコウノトリは絶滅しました。
現在、豊岡市の「コウノトリの郷公園」で飼育され、野生に戻す試みが行われているコウノトリは、中国やロシア(ハバロフスク)からもらい受けたコウノトリです。
それに比べると、アルザス地方などヨーロッパのコウノトリは安泰というイメージがありますが、やはり自然環境の変化に伴い、楽観視は出来ないとのこと。
豊岡市もPRしていますが、コウノトリと共生できるということは、環境が素晴らしいと言うことなのです。
コウノトリが悠然と羽ばたく光景が、アルザス地方でもいつまでも続くといいなと思いました。
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