アルザス地方の中心都市、ストラスブールは、ドイツ語ではシュトラースブルク。
「街道の街」という意味だそうです。
ライン川の左岸に位置するこの街は、水陸交通の要衝として繁栄してきました。
中世はドイツを中心とする神聖ローマ帝国の都市として発展しましたが、17世紀の三十年戦争でフランス領となり、その後もドイツとフランスとが領有権を争いました。
ドイツ文化圏に所属していますが、現在はフランス領です。
「プティット・フランス」名前の謎
ライン川支流のイル川中州にあるストラスブール旧市街は、「ストラスブールのグラン・イル」として、世界遺産に登録されています。
コルマールと同様、木組みの家(コロンバージュ)がたくさんあって、とても可愛い街並みが続いていました。
その中でも特に美しいとされる地区が、イル川の本流が4つに分かれている地帯。
そこは「プティット・フランス」(小さなフランス)と呼ばれています。
私には、この名前がとても謎でした。
この街はフランスのはずなのに、わざわざ「小さなフランス」ってどういうこと??
『地球の歩き方』にも『ウィキペディア』にも、そういうことは書かれていません。
もしかしたら、この街はドイツ文化圏だから、「ドイツ文化圏の中の、フランスらしい一画」という意味なのかな? と思っていました。
これが、問題の「プティット・フランス」地区。
確かに美しい街並みだけれど、周囲の地区と、どこが違うのだろう?
橋も、運河も、コロンバージュの家々も、さっきまで歩いてきた旧市街の街並みと特に大きく変わっておらず(壁の白い家は多い)、「これぞフランス!」という特徴は、私にはわかりませんでした。
一体、どこが「小さなフランス」なんだろう?
というか、「フランスらしさ」というものって、そもそも何だろう?
「フランスらしいもの」とは?
すぐ思い浮かぶのが、三色旗(トリコロール)。
フランス人って結構愛国心(ナショナリズム)が強烈で、何かにつけて「フランス万歳!」というイメージがあります。
自国の文化にものすごいプライドを持っているという点では、中国とよく似ているかな?
『地球の歩き方(2016~17)』の表紙は、モン・サン・ミッシェルでした。
カフェ、ワイン、フランス料理、エッフェル塔、凱旋門、ヴェルサイユ宮殿、印象派、革命、モナリザなど、フランスと聞いていろいろ思い浮かぶものはあるのですが、全然「プティット・フランス」地区とは関係なさそう。
謎は深まるばかりでした。
隔離病棟があった地区
この地区は、元々漁師や粉屋、なめし皮職人などが暮らしていました。
プティット・フランスの名前は、ここに天然痘(フランス語で「プティット・ヴェロル」)に罹った兵士たちの病院を作ったフランソワ1世に由来します。
とありますが、なぜ突然ここで、フランス国王フランソワ1世が登場するのか、よくわかりませんでした。
大体フランソワ1世(1515~1547年)は、晩年のレオナルド・ダ」・ヴィンチを保護したことで知られるルネサンス期の国王で、少し時代的に古いです。
フランスにストラスブールの支配権が移ったのは、1697年(ルイ14世時代)。
ますます訳がわからなくなってきたところ、別の病気ではないかという説を発見。
かつてこの地域には、性病患者のための病院があったというのです。
「フランス人的な」という意味は、「フランス人のようにふしだらな」という、ドイツ人からの蔑称だったとか。
もしこれが梅毒なら、昔は確実な治療法もなく、死亡したり慢性化して障害で苦しむこともある恐ろしい伝染病でした。
フランス人は自由で恋多き人々だから、性病になる確率も高かったのかもしれません。
一方ドイツ人はもう少し控えめで、まじめなイメージがあります。
でも、もし性病説が正しいとしても、「フランス観光公式サイト」には、絶対記載されないような気がしました。
『世界ふれあい街歩き』に出てきた橋?
「プティット・フランス」地区を散策していると、面白い橋がありました。
どうやら『世界ふれあい街歩き』に出てきた橋のようです。
橋の両側に、鎖があるのでわかりました。
遊覧船がこの運河を通るとき、交通を遮断して橋を回転させ、船を通すそうです。
私達もイル川の遊覧船に乗ったけれど、橋が回転するところは、うっかり見過ごしてしまいました。
せっかくなので、YouTubeでご覧ください。
昔は恐ろしい伝染病の隔離病棟が置かれていたプティット・フランス地区ですが、現在はとても多くの観光客でにぎわっていたのが印象的でした。
コメントを残す