アヴィニョンの橋
「アヴィニョンの橋の上で」という童謡で広く知られている橋は、サン・ベネゼ橋というのが正式名称。
「アヴィニョンの橋の上で」は学校でも習った記憶があり、とても楽しい歌なのですが、橋の開通を祝った歌とも、法王庁が移転して、この街がキリスト教世界の中心になったことで皆が喜んでいる歌ともいわれています。
この橋について、現地に行くまで知らなかったのですが、とても面白い橋でした。
ローヌ川に架かるこの橋は、アヴィニョンの城壁の外側にありましたが、橋が途中でなくなっているのです。
橋の上にある建物は、サン・二コラ礼拝堂だそうです。
12世紀に完成したときは、22連のアーチ橋で長さは920m、幅は4mありました。
羊飼いのベネゼ少年が神のお告げで橋の建設を始め、30人が持ち上げられなかった巨大な岩を1人で持ち上げ、橋の基礎としたそうです。
その奇跡を見た群衆がどんどん橋の建設費を寄付し、やがて橋は完成しました。
橋の完成を目前にして19歳で亡くなったベネゼ少年は、奇跡を起こしたとして後に聖人に列せられ、橋に名前を残しています。
ちなみに彼は、世界中の独身者及び橋梁設計者の守護聖人となっているようです。
スペインとイタリアを行き来する巡礼や商人にとって、この橋はとても便利で、リヨンから海へ出る唯一の手段でした。
しかし度重なるローヌ川の洪水や戦争で破壊され、ついに17世紀以降は修復されず、放置されるようになったのです。
これは橋の入り口部分ですが、今でもとても立派です。
この橋は有料で、橋だけなら5ユーロ、法王庁宮殿との共通券なら13.5ユーロ(日本語オーディオガイド付き)でした。
多分普通の橋なら無料で通行できるのでしょうが、破壊されていて途中までしか渡れない橋だから、それが特徴になって有料化されているというのが、ちょっと皮肉めいていて面白く感じます。
今回は橋を渡らず、川岸から見るだけにしました。
橋の上は幅4mで、橋の上で輪になって踊るには狭すぎで、元々は橋の下の川岸で、輪になって踊っていた歌だったと言われています。
旧市街の街並み
アヴィニョンは、全長4.3kmの城壁に囲まれた街でした。
サン・ベネゼ橋と一部の城壁、法王庁宮殿とその周辺は世界遺産に登録されており、中世の面影をしのぶことができます。
これは法王庁広場にあった立派な建物で、アヴィニョン出身の音楽家にちなみ、市立アヴィニョン・オリヴィエ・メシアン音楽院と命名されています。
これは市庁舎です。
市庁舎のそばにある時計台広場には、メリーゴーラウンドがあり、人々の憩いの場になっていました。
その近くから南へまっすぐ続くレピュブリック通りが、アヴィニョンの中心となる大通りです。
サン・ベネゼ橋から城壁内の法王庁宮殿を経て、まっすぐ南に歩いていけば、自動的に反対側の城壁入り口に出て、すぐ前がアヴィニョン・サントル駅でした。
アヴィニョンは、そんなに大きな街ではないし、見どころは割とコンパクトにまとまっているので、南北の方向さえわかればそんなに迷うこともなく、観光しやすい街だなと思いました。
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