バンダーラナーヤカ国際空港には家電の店がいっぱい
8月6日(日)9時35分、無事にコロンボ国際空港(正確にはバンダーラナーヤカ国際空港)に到着。
クアラルンプールに比べると少しこじんまりしている空港でしたが、電化製品の店がとても多く、それも冷蔵庫とか洗濯機とか、かなり大きい白物家電を扱っている店なので驚きました。
空港出口には、これから1週間お世話になる男性ガイドのランジェナさんが、ちゃんと待っていてくれました。
日本語がとても上手で、勉強家のランジェナさんに電化製品の店のことを尋ねると、出稼ぎのスリランカ人がここで家電を買って帰るのだとか。
ナショナルやソニーなど、日本製品の評判がいいので安心しました。
スリランカの道路はかなりカオス(混沌)
私達がお世話になるツーリストカーは、TOYOTAの白いアリオン。
エアコンも効いていて、車内も広くてきれいです(ドアは優しく閉めましょう)。
道路を走ってみると、日本の中古車がかなり目につきました。
日本で使われていた時の社名や団体名、電話番号などもそのままなので、懐かしいし面白い。
そしてとにかく、いろいろなものが道路を通行していました。
牛車(走ると意外に早い!)、自転車(少ない)、バイク(3人乗りも普通)、トラクター、トラック(荷台にたくさんの人がいる場合も)、スリーウィーラー(トゥクトゥク)、年代ものらしきバスなどなど、あらゆる車が2車線の、信号のない道を走っていました。
皆我先にとほかの車を追い抜こうとし、運転も日本に比べてなかなか大変そうでした(私は無免許)。
昼に簡単な軽食を食べて、いよいよスリランカ最初の寺院見学スタートです。
寺院を訪れる際のマナー
最初に訪れたスリランカの町アヌラーダプラは、紀元前6世紀に建設された、スリランカ最古の都。
ここに都を建設したのは、インドからスリランカにたどり着いたウィジャヤ王(シンハラ民族の祖とされる)だそうです。
アヌラーダプラに近づくと、白い服を着た人々がたくさんいました。
仏教の寺院を訪れるときは、白い服が望ましいようでした。
古都アヌラーダプラで、最初に見学したのがイスルムニヤ精舎(精舎とは寺院、僧院という意味)で、紀元前3世紀に建立された僧院が、この精舎の始まりと言われます。
通称ロック・テンプルと呼ばれ、岩肌に造られた寺院です(奥にあるのがその岩)。
スリランカでは寺院を訪れるときは帽子を脱ぎ、必ず履き物を脱がなくてはなりません(靴下は可)。
素足に直接砂の暑さが伝わって、これがかなりの修業でした。
kojikojiさんの旅行記によると、ユニクロの軍足がいいそうです。
岩山の寺院
沐浴場の壁に掘られた、沐浴する象の浮彫。
岩の象の上の四角いくぼみにお金を投げ入れると、願いがかなうとか。
ランジェナさんからコインをもらって(スリランカ初日なので、悲しいことに手持ちのコインがない!)挑戦しましたが、難しいですね。
でも成功している人達も、そこそこいるみたいでした。
極彩色の仏像たち
所々の岩肌に仏像が安置された小堂があり、巨岩信仰の名残がありました。
巨大な涅槃仏も、岩を切り出して作ったもので、小堂や涅槃仏を保護するために、後世本堂が建てられたのだとか。
ちなみに本堂の仏たちの塗装の塗り替えは、浅草寺の援助で行われたそうです。
天井も仏様たちも、皆極彩色でした。
極彩色なので、仏様の髪型(頭頂部にあるカラフルな右巻きの髷?)が、とてもとても気になりました。
ただの人間じゃなくて仏だよ!というありがたい相の一つのようですが、日本ではどう表現されているのかな?
日本の仏像は全体的に色彩が渋すぎて、色がわかりませんね。
これは、仏教をスリランカに伝えたインドのアショーカ王の息子・マヒンダです。
本堂の壁には、精舎の歴史を描いた絵もありました。
宝物館
精舎の北側の王宮庭園で発見されたと言われる、2体の像が有名です。
「恋人の像」(5世紀)は、紀元前2世紀のサーリヤ王子と、身分が低すぎた恋人マーラを彫ったものと言われています。
これは「王族の像」(5~8世紀)で、中央に国王夫妻、王の左がサーリヤ王子、右端が王子の妻となったマーラだと言われていますが、マーラの身分が低すぎるので、隅につつましく彫られているとか。
身分よりも恋人を選び、ついに恋を成就させた王子様、素晴らしいです。
岩の上のダーガバ(仏塔)
岩の上に登ってみました。
沖縄の 斎場御嶽(せーふぁうたき)にどことなく似ているような感じがします。
岩が落ちてこないのが不思議。
仏足石は日本でもおなじみです。
お賽銭やおみくじのようなものもあって、何だか日本とよく似ている雰囲気でした。
岩の上にあるダーガバ(仏塔)からは、とてもいい景色を見ることができました。
貯水池が緑の農地を支えています。
精舎の境内にも、大きなマンゴーの木がありました。
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