シーギリヤ・ロックに一番乗り!
スリランカ旅行2日目(8月7日)は、スリランカの名所として名高いシーギリヤ・ロックが最初の目的地。
当初はホテル8時出発の予定でしたが、この日は満月のポーヤ・デーで、スリランカでは土曜日から3連休で、シーギリヤ・ロックも昨日とても混雑しており、今日もかなりの混雑が予想されるとのこと。
ランジェナさんの提案で、朝6時にホテルを出発し、シーギリヤ・ロックを涼しい時間にゆっくり見学しようということになりました。
シナモン・ロッジ・ハバラナの朝食セットはボリューム満点です(写真は3人分)。
6時40分に目指すシーギリヤ・ロックに到着し、見事にランジェナさんはチケットオフィス一番乗り。
入場チケットは1人30USドル(3,960ルピー)ですが、スリランカ国民は50ルピーで入場でき、あまりの入場格差が外国人観光客の怒りを買っているようです。
スリランカの観光ポスターに必ず登場するこの岩山の頂上には、5世紀に華麗な王宮が建てられました。
建設したのは父親であるアヌーダプラの王を殺害して王位を奪い、インドに亡命した異母弟の復讐におびえる狂気の国王・カーシャパ。
彼が異母弟との戦いに敗れ、自殺するまでの11年間、この岩山が都となりました。
ここではガイドライセンスを持っていない人物(ドライバーなど)が、外国人と同行するのは禁じられています。
私達はランジェナさんが同行してくれるからいいのですが、中には悪質なガイドもいて、登りの山道で大変な時に手を差し伸べ、親切な人だと油断させて後で高額なガイド料を請求するのだとか。
そういう人が近づいてきても、毅然と「No Thank you」と言うようにと注意されました。
シーギリヤ・ロックには犬がいっぱい!
チケットオフィス周辺は、睡蓮の花が美しく咲いている池があり、地元の人たちがたくさんいました。
猿に注意という標識もあり、動物にエサを与えないで下さいという注意看板もありました。
ところがこの時間帯は猿を見かけることはなく、どこを見ても、首輪のない犬ばかり。
城壁内部へと渡る橋(昔は水路にはワニがいて、そこに落ちた人は誰も戻ってこなかったとか)にも、ワニの代わりに犬が番をしていました。
朝早い時間帯は、悪質ガイドさんはまだ出勤していないけれど、犬が迫ってくるようです。
この辺りは、王の沐浴場と呼ばれる遺構。
ドライ・シーズン・パレスの濠。噴水もあったそうです。
いずれも優れた上下水道施設によって運営されていました。
シーギリヤ・ロックの入り口まで、まっすぐの小道が通っています。
この岩山は、マグマが硬化したもので岩頸(がんけい)または突岩(とつがん)と呼ばれる形成物。
あの頂上に宮殿を建てようなんて、普通は考えつきません。
カーシャパ王は一体、どんな気持ちだったのでしょう?
そして、一番最初に頂上に登った人は、階段もないのに一体どうやって登ったのでしょう?
登り口手前にある石窟寺院には、壁画がかすかに残っていました。
シーギリヤ・レディは撮影禁止
いよいよ本格的な岩山登りが始まりました。
まず最初の目的地は、シーギリヤ・レディ。
1875年、この岩山を望遠鏡で眺めていたイギリス人が鮮やかな色彩を見つけ、この岩山の中腹に壁画が描かれていることが判明しました。
その壁画が、「シーギリヤ・レディ」と呼ばれる謎の美女たちです。
1938年にイギリス人が造ったという、周りを金網で囲った鉄製らせん階段を上って、壁画を見学。
イワツバメがたくさん飛んでいたのも印象的でした。
『地球の歩き方』によると、ストロボ撮影禁止となっていましたが、ランジェナさんによると、中国人観光客のマナーが悪く、全面的に撮影禁止になったようでがっかりしました。
その美女たちのほほえみは、2013年にアップロードされた、こちらのYouTube動画でご覧ください。
殺害された父王の霊を慰めるために描かれたと思われますが、美女たちが天空の妖精アプサラスなのか、それとも上流階級の女性なのかはまだわかっていません。
優しく、妖艶で、どこか怖ろしくも感じる不思議な表情の女性たち。
今まであまり見たことのない、神秘的な表情でした。
かつては500人も描かれていたようですが、現在残っているのは18人。
実際、色が薄くなってしまった壁画もあって、保存のためには撮影禁止も仕方ないことかなと思いました。
私達は朝早くて観光客もまだ少なかったので、説明を聞きながらじっくり壁画を見ることができましたが、日が高くなってくると人が増え始めました。
帰りに見たらせん階段。フェンスで囲われている場所に壁画があります。
混雑がひどくなると、らせん階段に長い行列ができるそうです。
壁画の下に位置する回廊の壁は、ミラー・ウォールと呼ばれ、人影が映るのだとか。
7~11世紀に彫られたシンハラ語の詩が刻まれているようでした。
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