ウナワトゥナからゴールへ
8月11日(金)は、ウナワトゥナのホテルを11時にチェックアウト。
今日は最初に、ゴールの旧市街を目指します。
途中、とても素朴な果物屋や魚屋がありました。
漁師さんが、この辺りにもたくさん住んでいそうです。
世界遺産の旧市街
ゴールの街は、スリランカで3番目に人口の多い街です(1位はコロンボ、2位はキャンディ)。
駅も立派でした。
ゴールは古くからセイロン島の良港として名高く、多くの民族が訪れました。
ペルシャ人、アラビア人、ギリシア人、ローマ人、インド人、マレー人、そして中国人も訪れていたようです(明の時代の鄭和も訪れました)。
1505年からはポルトガル、1640年からはオランダ、1796年からはイギリスがこの街を支配。
今も残る要塞はオランダ時代のもので、イギリス時代になると要塞が行政の中心となりました。
半島を囲む要塞の中にある旧市街には、コロニアル様式の瀟洒な洋館が多く、植民地時代を彷彿とさせます。
下の写真の白い建物は、中世以来多数訪れていたアラビア人が建てたモスクです。
他のスリランカの町と違って寺院を見ませんでした。
この建物は、オランダ教会と呼ばれています。
あのクラクションが鳴り響く、カオス状態の幹線道路から離れているためか、静かで落ち着いた雰囲気もありました。
城壁の上を歩こう!
ゴールの城壁は、アジアに現存する中では最長。
白亜の灯台もあります(高さ18m)。
花崗岩でできた城壁の上はとても広くて、たくさんの人が散歩していました。
城壁の上からはインド洋が見えます。
海はとても美しいのですが、ウナワトゥワ・ビーチと同じく、波が高い。
今日は波が高いですか?と、私達のドライバー兼日本語ガイドのランジェナさんに尋ねてみましたが、今日はまだ穏やかな方だとか(インド洋ってもともと波が高い?)。
津波にも負けなかったゴールの城壁
2004年12月26日、スマトラ沖地震により、巨大な津波がスリランカを襲いました。
マグニチュード9.1というのは、あの東日本大震災(マグニチュード9.0)の時の約1,4倍です、
スリランカでは、3万5千人以上が亡くなり、行方不明者は5千人以上。
スリランカは地震がほとんどなく、津波に対する知識がありませんでした。
また地震が起こったのが日曜日で大使館が閉鎖しており、各国から寄せられた警報が届かなかったことが大きかったようです。
ただ、このゴールの城壁だけはびくともせず、旧市街の人々の命を守ったようでした。
城塞都市ゴール
半島の突端、フラッグロックは、夕日の名所でもあるそうです。
この時は正午近くでしたが、それでも賑わっていました。
時計塔のある、城塞のメインゲート。
兵士の人形もありました(本物の兵士かと思った)。
この城壁の上もとても広くて(分厚いということです)、眺めもとても良かったです。
旧市街の家の屋根は、皆、同じ色の瓦で統一されていて、これもヨーロッパ風(どちらかというと南欧?)の街並みかなと思いました。
お金を払えば、城壁の上から飛び込みますよ、という人もいたけれど、無料でもっと怖いことをやっている人もいました。
堕ちてしまわないか心配で、本当に、見ているだけで怖かったです。
何事もなくてよかった。
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