菅田将暉の虎松登場!
大河ドラマ『おんな城主直虎』では、いよいよ虎松が14歳に成長し、寺田心くんから菅田将暉さんにバトンタッチ。
イケメンで爽やかで、でも父親の亀之丞(井伊直親)よりもっと負けず嫌いで、般若顔(変顔)も面白いです。
昨日のドラマでは、直虎が井伊家の再興を諦めたり、虎松がすんなりと徳川家に仕官できたりしたようで(でも草履番)、いままでの「定説」とは少し変わっているなと思いました。
虎松の将来構想会議と母の再婚
定説では大体次のようになっています。
武田信玄死去の翌年(1574年)、それまで三河の鳳来寺(ほうらいじ)で潜伏生活を送っていた虎松が、父親である井伊直親の13回忌に参列するため、久しぶりに井伊谷の龍潭寺(りょうたんじ)を訪れました。
そこで井伊次郎法師直虎、南渓和尚、虎松の生母、直虎の母・祐椿尼(ゆうちんに)が、14歳になった虎松の身の振り方を真剣に相談し、虎松を徳川家康の元に出仕させることで意見は一致します。
まず南渓は、虎松を鳳来寺に帰さないことにしました。
鳳来寺は戻るように要請してきましたが、南渓が粘り強く交渉してやっと了解を得たようです。
また再婚の時期は不明ですが(『井伊家伝記』によればこの頃?)、お互いに連れ合いを亡くしていた松下源太郎清景(きよかげ 松下常慶の兄)と虎松の母が再婚。
虎松は松下清景の養子となり、義父や実母と共に浜松に住むこととなりました。
両親(父親は義父ですが)揃って一つ屋根の下で暮らすのは、実に12年ぶり(2歳の時に父の直親が殺害されました)。
当時の井伊谷は、直虎の城主罷免後に今川家の代官として井伊谷を支配していた小野政次を滅ぼした井伊谷3人衆の1人、近藤康用(やすもち)が支配していました。
そのような井伊谷で成長したとしても城主になって井伊谷を回復できる可能性はなく、ここは一度「松下虎松」となって井伊家を断絶させ、他人よりもいい条件で徳川家に仕官して、徳川家康の力で井伊家再興と考えたのではないでしょうか。
家康待ち伏せ大作戦
その翌年の1575(天正3)年2月15日、家康が鷹狩りに出た際、さりげなく待ち受ける虎松を家康に対面させる段取りが決まります。
15歳になった虎松は、養父の松下清景に伴われ、直虎と祐椿尼が仕立ててくれた衣装(小袖)を着て、道端で家康を待ち受けました。
万が一家康が彼らに気づかず、スルーすることのないように、松下常慶が家康の伴をするなど用意は万全。
さて、この年初の鷹狩り(場所は三方ヶ原の台地)に出た家康は、その道中で、風貌がどことなく上品で優れた面差しの少年を発見しました。
きっと家康好みのイケメンだったのでしょう(井伊家の男性は、皆イケメンだと思いますが)。
少年は「松下虎松」として家康に謁見し、家康から早速召し抱えるとの上意があり、家康の供をして鷹狩りに行き、そのまま浜松城に入ることに成功!
今でも面接の第一印象は、採用に大きな影響を及ぼしますが、虎松は見事に一次面接をクリアしたのです。
やはり直虎母子の気合の入ったリクルートスーツ(新しい小袖)と、好感度抜群のルックス、はきはきした受け答えなどが勝因でしょう。
浜松城での二次面接
浜松城に入った虎松は、家康の御前で尋ねられるまま、父祖の由来を述べました(これって家康による身元調査?)。
虎松の実父である井伊直親が、岡崎の家康と内通しているとの疑いで今川氏真の命により殺害されたことを聞くと家康は驚き、家康のために直親は命を失ったも同然として、この際、松下姓から井伊姓に戻るようにと虎松に命じます。
ドラマでは、家康の偽手紙でまんまと罠にはめられてしまった直親でしたが、この事件については家康は苦にしていないようです。
むしろ徳川軍の井伊谷侵攻の時の出来事(牢の中にいる直虎に面会したとき)を、家康は苦にしているようですね。
ともあれ家康は、自分の幼名である竹千代に因み、虎松に「万千代」という名を与えて小姓に取り立て、井伊谷に300石の領地を持つことを許しました。
300石というのが余りイメージできませんが、村1つくらいでしょうか?
初対面でいきなり300石というのは、どう考えても大出世です。
家康が初対面の万千代を厚遇したのは、井伊直親の死や万千代の容姿に惹かれたばかりでなく、自分と同じように各地を転々とした不遇な幼少時代を哀れんだためだと言われています。
母親と別れて、六左と2人で鳳来寺に7年潜伏していたのが、結果的にポイントが高かったのかな?
ともかく虎松の家康出仕は見事に成功し、井伊家は再興されました(定説では草履番でなく、小姓からのスタートです)。
直虎や南渓和尚達の長年の努力が、ようやく報われた瞬間でした。
ちなみに、せっかくの跡取り息子として養子にした虎松を手放さざるを得なかった松下家ですが、別の養子が井伊谷からやってきます。
それが「之の字」こと中野直之の次男(松下一定)。
養父の松下源太郎も、養子の一定も、後に万千代改め井伊直政の家来になって結果的にはめでたしめでたしのようですが、ドラマでは松下家離脱のことは源太郎夫妻には想定外だったし、新しい養子にしても、すんなり決まるのでしょうか。
井伊万千代の徳川家仕官成功で、定説では万千代の活躍を楽しみにしながら余生を送ったようなイメージの次郎法師直虎ですが、ドラマではまだまだ波乱含みのようで、最後まで目が離せませんね。
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