台風前夜の鎌倉 日本三大八幡宮の1つ・鶴岡八幡宮に参拝

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知っているようで知らない八幡さま

自宅の近くに小さな八幡神社があり、「八幡幼稚園」という幼稚園を経営していたため、八幡神社は割と身近な存在でした(ちなみに私はその幼稚園ではなく、熊野神社が経営する別の幼稚園に通いました)。

身近すぎたのか、八幡神社の祭神については「神々の一人」として特に意識することもなく、「南無八幡大菩薩」という幟旗を時折歴史のドラマなどで見るせいか、何となく武士の守り神なのかなと感じる程度でした。

ところがこの八幡さま、調べていくとなかなか面白い神様です。

この神様は『古事記』や『日本書紀』には記されていない新しい神様で、祭神は誉田別命(ほんだわけのみこと)。つまり応神天皇と同一人物です。

比売神(ひめがみ)という女神(宗像三女神や応神天皇の后など諸説あります)や、母親の神功皇后を合わせて「八幡三神」として祀られており、伊勢神宮に次ぐ「皇祖神」とされてきました。

元々は北九州の有力豪族であった宇佐氏の氏神として祀られていましたが、奈良時代に九州の有力神社として宇佐八幡宮が注目され、祭神を応神天皇として天皇家との結びつきを強めたと言われます。

「お告げ」をする神としても知られ、東大寺大仏造立に協力したり、道鏡を天皇にするかどうかも、八幡神の神託で決定されました。

他の神々と比べると、歴史の表舞台によく登場する神様のようです。

南無八幡大菩薩

奈良時代末期には、聖武天皇の系統が絶え、皇位が天智天皇の系統に移り政治不安が続きました。

この時期に八幡神は出家し、「八幡大菩薩」として仏教の守護神となりました。

当時流行の「神仏習合」の一つと単純に思っていましたが、仏教を篤く信仰した聖武天皇を慰めるためという説もあるそうです。

下の写真は、平安時代前期の文化である弘仁・貞観(じょうがん)文化の傑作とされる、国宝の薬師寺僧形(そうぎょう)八幡神像です(「神像日記」サイトより引用)。

余談ですがこの神像は、現在京都国立博物館で開催中の「特別展覧会 国宝」で、神功皇后像と共に11月26日(日)まで展示されています。

「開館120周年記念 特別展覧会 国宝」Ⅲ期! 金印・等伯・伝源頼朝像など充実でした

2017.11.12

都が平安京に遷ると、九州から石清水(いわしみず)八幡宮が勧請(かんじょう 神霊を分けて祀る)され、皇祖神として、また平安京の裏鬼門(南西)を守護する神社として重要視されました。

また、源氏が武神として信仰し、源氏の一族が広がると、各地に八幡神が祀られるようになりました。

そして武神としての信仰も根強く、6世紀の隼人征討から第二次世界大戦末期まで、武運を祈る戦場には「南無八幡大菩薩」の幟が掲げられたのでした。

にほんいち.com」サイトの調査によると、2年前の記事ですが、日本で一番多い神社は八幡神社関係で、7,817社。

2位の伊勢皇大神宮関係(4,451社)を大きく引き離しています。

日本三大八幡宮とは

そんなに多い八幡神社の中で、「日本三大八幡宮」と呼ばれている神社があります。

大分県宇佐市の宇佐八幡宮、京都府八幡(やわた)市の石清水八幡宮は不動ですが、残り1つの座を争っているのが、福岡市の筥崎宮(はこざきぐう)と、鎌倉の鶴岡八幡宮

決定していないというのが意外でしたが、歴史からすると筥崎宮(モンゴルの来襲時、亀山上皇が「敵国降伏」を祈願した神社)が古く、知名度(特に関東での)からすると、鶴岡八幡宮なのでしょうか。

鶴岡八幡宮の参道 印象的な段葛

源頼朝は鎌倉幕府を開くと、八幡神を鎌倉へ迎えて鶴岡八幡宮としました。

鶴岡八幡宮といえば、とても印象的だったのが参道の「若宮大路」。

由比ガ浜から八幡宮まで鎌倉の中心をほぼ南北に貫いており、京の朱雀大路を模して源頼朝が自らも加わり築いたと伝わります。

二の鳥居からは、段葛(だんかずら)と呼ばれる、車道より一段高い歩道があるのがとても珍しいなと感じました。

鎌倉に幕府が開かれ、御家人たちが山を削って屋敷を作ると山の保水力が低下し、雨が降るたび若宮大路に土砂や水が流れ込み(少し前の『おんな城主直虎』の話みたいですね)、道がぬかるんで歩き辛くなったために、道から一段高い道を建設したのが段葛です。

つまり今日のような雨の日には、ぴったりの道というわけでした。

鎌倉幕府が攻め込まれるのを防ぐために、二の鳥居から鶴岡八幡宮に向かうにつれて、道幅が徐々に狭くなるようになっており、遠近法によって、実際の距離より長く見えるようになっているのだとか。

段葛を抜けると三の鳥居があり、境内へと続きます。

雨と疲れに負けた?

私達が鶴岡八幡宮を訪れたのは、台風接近前日の10月21日(土)。

降りしきる雨と昼食後の疲れで、少々観光もいい加減になってしまいました。

とりあえず本殿には参拝できたのです。

でも、静御前が義経を慕う気持ちで舞った若宮廻廊跡に建つ舞殿は、ぼーっと見ていて気付かなかったのか、写真を撮っていませんでした。

鎌倉幕府の3代将軍だった源実朝暗殺の実行犯である公暁(くぎょう)が潜んでいた大銀杏の2代目(先代は2010年3月10日に、雪混じりの強風で倒伏)を探しましたが、見つけることもできません。

今回はどうもご縁がないみたいで、これはきっと、もう一度参拝に来てねという、八幡さまからのメッセージなのかもしれません。

鎌倉名物・鳩サブレー

ちなみにご縁がなかったといえば、鎌倉名物として私でも思い浮かんだ「鳩サブレー」にも、今回ご縁がありませんでした。

せっかくお店(本店)に立ち寄ることができたのに、職場用の適当なサイズがなく、容器(缶)も大きくて持ち運びが大変そうで、ちょっと一箱では済みそうになかったのです。

雨が降っていなかったら、大きいサイズの缶を買うという選択肢もあったでしょう。

いつか天気のいい時にもう一度鎌倉見物して、鶴岡八幡宮もしっかり見学して、豊島屋本店で鳩サブレーを購入する!という目標が新たにできました。

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