西太后が住んだ西六宮
側室を含む后妃が居住した場所で、同治帝の生母(側室で身分は「貴妃」)はこの西六宮に住んだので「西太后」と呼ばれることになりました。
その西六宮への入り口です。
彼女が暮らした儲秀宮(ちょしゅうきゅう)は、現在も当時の姿をとどめていました。
2日前の北京旅行初日に、頤和園を見学したときもそうだったのですが、この旅行に行く前に、NHKドキュメンタリー「中国王朝よみがえる伝説 悪女たちの真実 西太后」という番組を見たので、西太后にはとても興味があり、彼女にゆかりの地を見てみたいなと思っていたのです。
これは西太后が使っていた道具かな?
建物はもっと豪華絢爛で煌びやかだと思っていたのですが、頤和園で彼女が暮らしていた建物と同様、意外に質素でした。
ふと気になるものを発見!
これって、番組で紹介されていた、西太后の書いた扁額ではありませんか!
「翔鳳為林(しょうほういりん)」女たちよ、飛び立て。女だからと言って控えるなという意味だそうです。
皇帝の后妃たちは、この宮殿の高い塀の中に閉じ込められていて、西太后といえども完全に自由ではなかったでしょう。
でも彼女は子供時代から父に学問を教え込まれ、否応なく政治の世界に関わり、自分の意思で生きることができました。
漢民族女性を縛っていた纏足(てんそく)も禁止したそうです(彼女は満州人女性だったため、纏足はしなかったと知りました)。
この扁額は西太后らしい言葉で、戸田恵梨香さんもかっこいいと言っておられました。私も同感です。
浅田次郎さんもこの番組に出ておられました。『蒼穹の昴』は、時間ができたら読んでみたいです(ちょっと今は忙しい)。
珍妃の井戸はどこ?
一方娘は、同じ浅田次郎さんの『珍妃の井戸』を読んでとても面白かったようで、西太后が殺害を命じた光緒帝の妃・珍妃が投げ込まれた井戸が見たいとリクエスト。
私達も興味があったので、一緒に探すことにしました。
この井戸は「外東路」というエリアにあるというので、それらしい場所を探しましたが、なかなか見つかりませんでした。
ここも高い塀が続いていて、壁が赤くなかったら、まるで刑務所です。
忍者さんも、こんな高い塀の上は怖いのでは?
『ラストエンペラー』で、溥儀はこんな場所を自転車で走っていたのでしょうか。
そう思いながら歩いていると、やっとそれらしい場所を発見!中国人の団体さんが、何やらのぞき込んでいました。
でもそこは、故宮博物館のチケットとはまた別に、「珍宝館」という別売りのチケットが必要なエリアでした。
チケットは10元らしいですが、そこまでして行きたくないと娘が言うので、柵しか見えないような状態でしたが、あそこに井戸がある!というのはわかりました。
ガイドブックの写真で見ると、とても小さな井戸で、ここに落ちたということは、珍妃はとてもスリムな方だったのでしょうか。
珍妃の井戸には行けなかったけれど、それでもとても充実した故宮観光でした。
神武門を出ると景山(けいざん)
故宮の出口になる、一番北の神武門(当初は玄武門と呼ばれていました)から外に出ました。
駆け足観光でしたが、『地球の歩き方北京2017~18』に書かれていた通り、大体2時間くらいで主要部分は見ることができました。
驚いたのが、神武門の正面に小山(人造の築山、景山)があって、大きな建物も建っていること。
日本なら、多分皇居(江戸城)を見下ろすなんてけしからん!という理由で、このような建物は作られなかったのでは?
景山の上に建つ万春亭から一望する故宮は絶景で、素晴らしい写真が撮れるとか。
時間があれば行ってみたいですね。
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