JR彦根駅 どちらに降りるか思案のしどころ
彦根城やひこにゃんで有名な、JR彦根駅です。

JR彦根駅には西口と東口があり、戦国ファンならどちらに行くか、大いに迷うところです。
西口に降りると、駅前ロータリーで井伊直政の騎馬像が迎えてくれます。

菅田将暉くんが演じる美少年の万千代君ではなく、もう立派な「赤鬼」になった堂々たる井伊直政です。

兜がすごいですね。天衝脇立というスタイルの兜で、ひこにゃんも同じものをかぶっています。
彦根城に行く、或いはひこにゃんに会いたいなら、西口から降りる必要があります(山頂にあるのが彦根城)。

一方東口も負けていません。

こちらに行くと、石田三成ゆかりの佐和山城があるのです。

でも石田三成ファンだけでなく、井伊直政ファンもぜひ東口から降りてみてください。
石田三成の居城であった佐和山城跡は、井伊直政ゆかりの地でもあるのです。
井伊直政の墓所 清凉寺
井伊直政の墓は、大河ドラマ『おんな城主直虎』の舞台となった、井伊谷(浜松市)の龍潭寺にもあります。
一番左が直政、その右から順に直政の母(ドラマでは「しの」)、直親(亀之丞)、直虎、直虎の母(佑椿尼)と並んでいます。

でも実際に彼が亡くなったのは、関ケ原の戦いの後賜った近江国佐和山、つまり彦根だったのです。
そのため彦根にも、井伊直政の墓所がありました。
墓所があるのは、島左近の屋敷跡だった清涼寺。彦根藩主・井伊家の菩提寺となっています。

広大な敷地で境内には入れますが、本堂内部などは一般公開されていません。


でも偶然、裏手の山にお墓があるのを発見。

近寄ってみるとかなり立派な墓があります。

これは井伊家のお墓かな?

どうやら井伊直政のお墓のようです。
関ケ原の戦いの際、逃げる島津勢を猛追し(ドラマのように、大将になっても、常に単騎で先頭を駆けていました)、銃弾を受けた傷がもとで破傷風で亡くなった井伊直政は、享年41(1602年没)。

井伊直虎次郎法師は、生年がわからないため享年もわかりませんが、直虎は彼よりも長生きしたのではないでしょうか。
一説には、直政の死は石田三成の祟りであったともいわれています。
昊天さんが創建した彦根の龍潭寺
清凉寺の隣にあるのが、龍潭寺。ここも井伊家の菩提寺となっています。


1600年、関ケ原の戦い後、彦根に転封となった井伊直政が龍潭寺の五世昊天和尚を招いて遠江国から分寺し、この地に建立したのが始まりとされています。
実はこの龍潭寺の境内から、佐和山城跡へ続く道があるのです。
佐和山城跡へ続く道の途中、幼い虎松(直政)を今川家から命がけで守ったという新野左馬助(あやめさんたちの父親)の墓もありました。

今回は、本堂と庭園を中心に紹介しましょう。
玄関を入ると、すぐに目についたのがこの鐘。

佐和山城で陣鐘として使われていたのを、昊天和尚が彦根藩主二代目の井伊直孝より拝領したそうです。

ちなみに、昊天和尚はこのようなお姿でした。

彦根龍潭寺に残されている、井伊直政像(下)。


直政の子、二代藩主の井伊直孝像です。彦根龍潭寺や彦根城が完成したのは、この直孝の時代でした。


なぜか石田三成の肖像画もありました。やはり民に慕われていたせいでしょうか。

昊天和尚が造った庭
昊天和尚は、庭づくりの達人でもあったようです。
あの天龍寺の庭を造った夢想礎石もそうでしたが、禅僧の修行の一環として、庭を造るというのがありました。
龍潭寺に禅宗の大学寮があり、その中の園頭科(えんずか)が、造園専門学校の始まりとされています。
学僧が実習として作った庭などが現在も残り、庭の寺ともいわれているそうです。
昊天和尚が造ったとされる枯山水。


『枯山水』のボードゲームをプレイしていると、この立石の組み合わせがポイント高いな、とか、平たい舟石が一番値打ちものだということがよくわかったりします(やっぱりこのゲームはお勧めです)。
そして池泉式庭園。


昊天和尚は傑山さん、あの自然(じねん)が得度した悦岫(えっしゅう)くんの跡を継いで浜松龍潭寺五世住職となるのですが、長刀や学問、医術の他にも作庭の才能もあったとは。
禅僧になって修行するのも、なかなか大変なようですね。
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