石田三成の生涯 石田町・長浜・忍城・佐和山城跡・そして関ケ原へ 

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生誕の地・石田町(滋賀県長浜市石田町)

石田三成は1560(永禄3)年、近江国石田郷の土豪、石田正継の次男として誕生しました。

ドラマや映画などで様々な描かれ方をされ、大河ドラマでもたくさんの俳優さんが演じています。

『関ケ原』の石田三成ってどんな人? 歴代キャストとイメージの変遷

2017年6月4日

この石田三成の生まれた長浜市一帯を、2010年6月に訪れる機会がありました。

バス停も石田

生誕の地は現在の長浜市石田町で、長浜駅前からは湖国バスも出ているのですが、1時間に1~2本程度(便のない時間帯もあり)なので、バスを使う場合は時間をよく確認されたほうがいいと思います。

石田三成出生地の石碑。

治部池という堀端池もありました(土豪屋敷の堀跡?)。

石田三成屋敷跡。

必見石田会館! 三成公の頭蓋骨写真は衝撃!

帰りのバスが気になるので、石田会館を最優先で見学しました。

ここに「財団法人石田三成公事績顕彰会事務所」があり、三成に関する展示があるのです。

大徳寺三玄院で発掘された三成の頭蓋骨写真(よく見つかったものです)と、それを基にした復元肖像を初めて見ました。

石田三成の頭蓋骨?

他にもびっしりと、三成への愛にあふれた展示がありました。

この肖像彫刻も、発掘された頭蓋骨を基に造られているそうです。

なかなかしっかりしていて賢そう!

石田三成の和歌

バス停近くには、石田三成の自筆による和歌を刻んだ石碑がありました。

達筆すぎて読めません(泣)。

これは辞世の歌だそうですが、いつ詠んだのでしょう?

今日見に行った映画『関ケ原』には、辞世の歌を詠むシーンなどはなかったです。

そういえば、映画『関ケ原』には、処刑前の三成が干し柿を食べなかったというエピソードが紹介されていませんでした。

昔のTBS大型時代劇『関ケ原』では、このシーンが紹介されていたのにな。

「治部様といえば柿」というイメージは、一部でかなり浸透しているのに、もったいない。

この辺りにはほかにも石碑がたくさんあり、あの西郷隆盛が関ケ原の戦いを詠んだ漢詩まで、石に刻まれていました。

長浜市中心部

JR長浜駅前にある「出逢いの像」は、有名な秀吉への「三献の茶」のエピソードを表現しています。

映画『関ケ原』でも、このエピソードが紹介されていました。

この出逢いがなかったら、佐吉少年は、どんな人生を送っていたことでしょう。

駅から琵琶湖に向かうと長浜城歴史博物館があり、秀吉や三成に関する展示も充実しています。

秀吉・おね・浅井長政のモンタージュボイスを聴くこともできましたが、いつか三成の声も聴いてみたいです。

戦下手の三成? 忍城攻め(埼玉県行田市)

石田三成といえば、映画『のぼうの城』でも描かれた忍城(おしじょう)攻めに失敗したことでも知られています。

忍城は現在の埼玉県行田市にあります。

ここは、2013年8月に訪れる機会がありました。

1590(天正18)年、秀吉の小田原攻めが行われた際、三成は北条方の支城であった忍城を攻めたのですが、沼や河川を利用した堅城である忍城を攻めあぐねていました。

そこで三成は、近辺の農民などに米や金銭を与えて突貫工事を行い、5日という短期間で全長28kmにもなる石田堤と呼ばれる堤防を築き、利根川の水を利用した水攻めを行ったのです。

その石田堤は、整備されて現在でも残っていました。

また三成は、埼玉古墳群の一基である丸墓山古墳(高さ19m)を陣地としています。

この古墳に、三成も登ったんですね。

古墳から南にまっすぐ伸びている道は、石田堤の名残です。

民に慕われた佐和山城主(滋賀県彦根市)

戦下手という評判がある反面、政治家としては優れた手腕を発揮し、豊臣政権を支え、また佐和山城主として、領民に慕われたと言います。

詳しくは、滋賀県が制作したこのCMをご覧ください。

佐和山城跡は現在の滋賀県彦根市に位置し、JR東海道本線沿線にあるので、車窓からもよく見えます。

佐和山城跡には、2016年9月に訪れました。

JR彦根駅は、西口から出れば井伊家ゆかりの彦根城、東口から出れば三成ゆかりの佐和山城跡に行けるというとても恵まれた駅で、三成ゆかりのポスターもたくさんありました(来年の大河ドラマは井伊家なのに)。

佐和山のふもとには、佐和山城の復元模型もありました。

この佐和山城跡は、龍潭寺(りょうたんじ)の所有ですが、龍潭寺の好意で、無料で入山することができました。

昨年初めて知ったのですが、1600(慶長5)年(関ケ原の戦い後)の井伊家の佐和山転封に伴い、浜松の龍潭寺(大河ドラマでおなじみの井伊家の菩提寺)から昊天(こうてん)和尚を招いて、分寺したのが彦根の龍潭寺。

境内には石田三成像や、佐和山城で亡くなった石田一族や家臣たちの冥福を祈る菩薩像がありました。

龍潭寺の中も(井伊一族一辺倒だと思っていたら)、石田三成の肖像画もあって驚きました。

これは佐和山城にあった陣鐘で、井伊直政より昊天和尚が拝領したものでした。

関ケ原の戦いの後、佐和山に石田三成の亡霊が彷徨っているという噂もあり、龍潭寺はその鎮魂も兼ねていたのかもしれません。

佐和山登山はなかなか厳しい

佐和山に登りましたが、かなり急な坂もあったので、履き物と服装は気を付けるべきだと痛感。

サンダルとワンピースで登り、ひどい目に遭いました。

やっとのことで山頂に到着。

佐和山城は三成の痕跡を消すために徹底的に破壊され、当時の様子はわかりませんがとても質素な城だったらしく、三成が自分のために贅沢をしていなかったことがよくわかります。

山頂にも慰霊碑がありました。

眺めは抜群で、彦根城をはるかに望むこともできます。

民に慕われた三成の跡を継いだ井伊家の人たちは、かなりプレッシャーを感じたかもしれません。

笹尾山の三成本陣(岐阜県不破郡関ケ原町)

関ケ原古戦場は、2013年11月に訪れました。

関ケ原探訪記5 石田三成陣跡(笹尾山)・関ケ原古戦場決戦地碑・不破関資料館

2017年6月4日

ここは関ケ原の古戦場で、唯一竹矢来や馬防柵が復元され、当時の様子を偲ぶことができます。

展望台からは、家康本陣の桃配山や、小早川秀秋の松尾山も望むことができ、三成の口惜しさと絶望はいかばかりだったかと察せられます。

「勝機は我にあり!」と叫んでいた映画の三成が、また蘇ってきました。

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