北陸まんぷく1泊2日HISバスツアー8 国際観光名所・高山陣屋

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高山陣屋は中国人団体客でいっぱい!

初めてHISバスツアーの1泊2日コースを申し込み、先週末(2月3日、4日)に北陸へ行ってきました。

ズワイガニ・ブリ・ローストビーフ・スイーツなど30種の食べ放題!更にソフトドリンクも飲み放題!白銀の白川郷・金沢・飛騨高山! 雪化粧の北陸まんぷくルート2日間

という、大人1名14,980円でグルメも観光も満喫しようという欲張り、いやリーズナブルなツアーでした。

最後の訪問地・飛騨高山では古い町並みと食べ歩きを満喫していたのですが、

北陸まんぷく1泊2日HISバスツアー7 飛騨高山食べ歩きと歴史の町並み見学

2018年2月11日

夫が2012年3月4日に訪れた高山陣屋にもう一度行きたいというので、自由散策90分の後半は、高山陣屋の見学になりました。

宮川に架かる中橋を渡ります。

広大な敷地の高山陣屋が見えてきました。

団体観光客らしき人々が、続々と入っていきます。

入場料は大人1人430円。

中国人観光客が多いようで、普通の雪だるまだけでなく、パンダ雪だるまもありました。

飛騨高山のお役所・高山陣屋

江戸時代初期まで、飛騨国は金森長近が国主となって飛騨高山藩となり、その子孫が治める土地でした。

金森長近? どこかで聞いたよ??? そうそう、「天空の城」越前大野城を訪れた時、初代藩主として紹介されていた武将(織田信長の家臣)だったのでした。

クラブツーリズムバスツアー6 名水・御清水(おしょうず)と朝倉義景の墓

2017年10月15日

クラブツーリズムバスツアー4 「天空の城」越前大野城へ 白山はあの雲の中

2017年10月13日

現在も残る飛騨高山の古い町並みを造り上げたのも、金森長近だったのです。

ところが1692(元禄5)年、徳川幕府は飛騨を幕府直轄領にして、金森家は出羽国上山藩へ国替えとなりました。

飛騨国の豊富な資源(金・銀・銅・木材など)に幕府が目を付けた、という説もあります。

その後維持が難しくなった高山城は破却され、それ以降の飛騨高山の代官や郡代(1777年に、飛騨代官は飛騨郡代に昇格しました)は、金森家の下屋敷だった金森陣屋で飛騨国の行政や警察、司法を行いました。

現在の県庁所在地のような感じでしょうか。

ここは、全国にただ一つ現存する徳川幕府郡代・代官所なのだそうです。

スリッパで畳の上を歩く

伝統的な日本建築なので、当然靴を脱いで見学します。

冬なので、足が冷えるという配慮なのでしょうか。スリッパが出されました。

このスリッパで木の廊下はもちろん、畳の部屋もそのまま歩いてもいいらしく、私達にはとても違和感がありました。

でも外国人観光客は、あまり畳に対する思い入れはないようで、文化の違いを感じました。

高山陣屋の内部案内

厳寒を過ぎて、まず目に入ったのが、郡代たちが執務していた「御役所」です。

役宅の庭園です。仕事で疲れた時には、この庭に癒されていたのでしょうか。

色々な角度から、違った表情を見せてくれる庭でした。

ここは御居間。嵐山之間とも呼ばれ、郡代が生活した場所です。この辺りは江戸時代の建物ではなく、1830(文政13)年の絵図面をもとに1996年に復元されたものです。

2015年4月22~23日には、ここで将棋名人戦の対局が行われました。羽生善治名人と行方尚史(なめかたひさし)8段の対局が行われたのですね(行方8段の勝利でした)。

でも中国人団体客で、押すな押すなの大混雑でした。人ごみを入れないで、写真を撮るのが大変です。

団体客と競争のようにして、台所へ。

女中部屋もありました。

3部屋に分かれた大広間は、公式の会議などに使用されました。何人くらい参加する会議だったのかな?

これが本当の「お白州」!

この建物の中で一番見たかったのが、時代劇でおなじみの、あの「お白州」です。

昨年の秋に訪れた、奈良県今井町(有名な寺内町)の今西家住宅にも、お白州がありました。

奈良今井町歴史散歩2 今西家住宅 町の裁判を担当した元戦国武士の陣屋

2017年9月10日

あの時見たお白州は、土間そのまんまで全然白くなかったけれど、高山陣屋はどうだったかな? 6年前に見たはずだけれど思い出せません。

ここが、高山陣屋の吟味所・御白洲です。

中国人団体客で大混雑でしたが、彼らが去って行った後でゆっくり撮影。

所々白い石(砂利)がありますね。白い砂利を敷いたのは、白が裁判の公平さと神聖さを象徴する色であったからと言われています。

でもテレビの時代劇のように屋外に白砂利のお白州は存在せず、屋内もしくは屋根付きだったそうです。

罪人搬送用の唐丸駕籠や拷問の道具などは、やはり恐ろしげでした。

拷問の絵もあって、『必殺仕置人』のオープニングを思い出してしまいました。

大寒波だったのに、奇跡的に渋滞なし!

こうしてすべての見学を終了し、東海北陸自動車道から名神高速道路を経由して、梅田までバスはひたすら走ります。

東海北陸自動車道には鷲ヶ岳スキー場などがあり、スキー帰りや観光帰りの車でかなり渋滞すると、HISの添乗員・川本さんがおっしゃっていました。

川本さんも何度かこのルートを添乗されているようですが、いつも渋滞に巻き込まれ、帰着時間が大幅に遅れていたようです。

ところが私達は、15分ほど渋滞に巻き込まれただけで、後は特に問題もなく、大津SAでトイレ休憩1回取っただけで、予定よりも早く(19:20頃)に梅田に到着できました。

とても運が良かったし、トランスパックの島田運転手のおかげだとも思います。

川本さん、島田さん、どうもありがとうございました。とても楽しい2日間でした。

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