最近の大河ドラマは学習教材?
『真田丸』『おんな城主直虎』そして今年の『西郷どん』と、最近の大河ドラマは何かと話題が多く、ネットを散見するとコアなファンの熱い感想や画像が飛び交っています。
時代考証にも有名な研修者の方々が関わっていることもあり、ドラマのストーリーや俳優さんの演技を楽しむ以外にも、様々な楽しみ方ができるのが大河ドラマの魅力の1つと言えるでしょう。
特に最近では、受験に役立つのでは?というような知識などもさりげなく登場し、これを見過ごしてしまうのは非常にもったいないな!と思うことが、よくあります。
学生の皆さん、大河ドラマを楽しみながら、これからの学校生活や受験等で必要な知識が知らず知らずのうちに身についていくって、とても効率的ではないですか?(でも中高生って大河ドラマ見てるのかな?)
或いは「今更こんな年齢で、日本史のことわかりませんなんて言えないよ」と密かに悩んでおられる(?)社会人の方々にも、大河ドラマは素晴らしい歴史教材だと思います。
実は私は(もともと歴史が好きというのもありましたが)、中学生くらいまでは、ほとんどがテレビ番組や小説・漫画を通して歴史を勉強していました。
問題集や参考書で学ぶよりも断然楽しく、なおかつストーリーと関連付けて覚えるため、時代背景などもよく理解することができました。
皆さんも大河ドラマのストーリーを楽しみながら、歴史も楽しく学びませんか?
薩摩隼人のマラソン大会 妙円寺詣りとは
さて、『西郷どん』第1話で印象的だったのが、薩摩藩士の少年たちが重い鎧を身をまとい、妙円寺に一番乗りを競って夜を徹して走るという激しい行事の妙円寺詣り。
『西郷どん』公式サイトより『週刊西郷どん見せもす!舞台ウラ ひったまがっど!エキストラ総勢200名!。ど迫力の「妙円寺詣り」シーンに迫る!』
鹿児島城下から、妙円寺のある日置市伊集院町までは片道20km、往復40kmもあります!
ドラマで描かれた通り、泰平の世に士気を鼓舞し、心身の鍛錬をするためとして盛んに行われ、明治以降は庶民も参加するようになり、現在でも鹿児島三大行事として受け継がれています。
詳しくは、日置市祭りイベントカレンダーの「妙円寺詣り」サイトをご覧ください(写真も引用)。
実は私は、子供のころから持久走が大の苦手。すぐにお腹が痛くなり、股関節も悲鳴を上げます。
この時代の薩摩隼人に生まれなくてよかったとしみじみ思うのですが、一体なぜ薩摩藩には、こんな厳しい行事があるのでしょうか。
関ケ原の戦いと薩摩藩
妙円寺詣りの日は、旧暦9月14日。あの関ケ原の戦いの前夜です(現在は10月の第4土日に変更)。
関ケ原の戦いで薩摩藩は西軍に属していましたが兵を動かさず、西軍の敗北が決定的となると大胆にも敵陣の中央を突破し、養老山脈や鈴鹿山脈を越えて堺の港から無事に帰還を果たします。
ちなみに、上の写真は関ケ原ウォーランドにある薩摩軍の大将・島津義弘の像です。
薩摩軍の退却戦はすさまじく、昨年『直虎』で話題となった井伊直政がここで重傷を負いました。
妙円寺には、決死の帰還を果たした島津義弘の位牌が祀られ、往時の艱難辛苦を偲び、剛勇を慕っていつの頃からかこの行事は行われたのだとか。
ここで注目してほしいのは、薩摩藩=関ケ原の戦いでの敗者という点。
つまり薩摩藩は、大名の分類でいうと「外様(とざま)大名」にあたるのです。
江戸時代の大名の序列
江戸時代の大名は、親藩(しんぱん)・譜代(ふだい)・外様(とざま)の3種類に分けられます。
親藩は、徳川の親戚・徳川一門のこと。御三家(尾張・水戸・紀伊)や御三卿(田安・清水・一橋)などが有名で、幕末に活躍する松平容保(会津藩)や松平慶永(越前藩)も親藩大名でした。
譜代は、信長や秀吉が天下人だったころから家康に仕えていた武将たち。井伊家もここに属します。
実は幕府の政治に関与できるのは、譜代大名だけなのです(この話はまた後日改めて)。
外様は、関ケ原の戦い前後から徳川家に臣従した、徳川家にとっては元同僚の武将たち。
島津家だけでなく、前田家、伊達家、上杉家、毛利家など名だたる戦国大名の子孫たちの多くがここ。
外様大名は将軍から一番信頼度が低く、(特に江戸時代初期には)隙あらば取り潰そうと狙われます。
加賀百万石の前田家のように、江戸幕府に反抗する気はないとして、文化路線を目指す藩もあれば
薩摩藩のように他国者を藩内に入れようとせず、国境を固め、示現流という藩士以外には伝授を厳禁された剣の流派で藩士を鍛え上げる藩もありました。
薩摩の訛りが独特なのも、潜入する他国者を発見するためとする説がありますね。
ちなみに、薩摩藩と共に明治維新で活躍する長州藩、土佐藩、肥前藩もすべて外様藩でした。
その中でも関ケ原の戦いで西軍の盟主となり、所領を大幅に削減された毛利家の長州藩が、倒幕の急先鋒になっていくわけです(石田三成は西軍の盟主ではないので、注意してください!)。
関ケ原の恨みは根深いですね。
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