大河ドラマで学び直せる日本史 江戸城無血開城 ドラマへの疑問あれこれ(『西郷どん』第37話)

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今回の『西郷どん』は、先週台風で延期になっていた「江戸無血開城」。

実は先週BSで見ていて、私も夫も「???」状態だったのですが、今回再度視聴しても「???」でした。今までの常識と、あまりにも違っていたせいでしょうか。

疑問1 天璋院と西郷どん にこやかに話せる?

大河ドラマ『篤姫』を、堺雅人さん死後あまり見ていなかったので、はっきり覚えていないのですが、徳川家の人間になり切った天璋院は、西郷とにこやかに話せないのでは?と思います。

江戸城に放火したのも薩摩の人間だし、江戸の町でテロ行為を繰り返した「薩摩御用盗」の存在も知っているはず。薩摩に対して、腹を立てていたのでは?

江戸に逃げ帰った徳川慶喜を嫌っていたし、徳川家の存続を願っていたのは真実ですが、慶喜の首で許してくれとか、ましてや西郷に頭を下げるなんて考えられない(手紙では徳川救済と慶喜助命を懇願していますが)。というか、そんな天璋院は、見たくない。

江戸城内の紅葉山文庫には113,950点の書物が収蔵されていたようですが、西郷に役立てられると彼女が判断した本は、意外と少ないようにも思えました。

天璋院は本当に、西郷がつくる新しい世の中が見たかったのかな?

毅然として誇り高い、「徳川の名にかけて戦うのみ」という姿勢で最後まで押し通せばいいのに。本なんかプレゼントせずに。

疑問2 パークスの意見はどこに?

江戸城無血開城にあたっては、イギリス公使ハリー=パークスの意向が強く働いたと言われています。

彼はナポレオンさえ流罪となり、処刑されなかったのに、無抵抗で謹慎している徳川慶喜を攻撃することは、万国公法に違反しているとして激怒。

来るべき戦争のため、横浜イギリス公使館に病院の手配や傷病者の手当を申し込みに来た新政府の使者はパークスの意向を西郷に伝え、西郷もこれに従い、江戸城総攻撃を中止したというもの。

実はパークスが、西郷隆盛に影響を与えたかどうかはわかりません。

しかし西郷が江戸城無血開城を決意したのち、同じ新政府軍の強硬派(板垣退助など)を説得する際、パークスの意向を持ち出すと板垣も引き下がるなど、新政府内での意見を統一する際に利用されたようです。

今回の『西郷どん』では、パークスは一切出てこず、すべて日本人の(しかも薩摩勢の?)力でまとまったみたいなことになっているようです。それでいいのかな?

疑問3 勝海舟との会談

大体、勝海舟が「せごどん、せごどん」と言うのも「???」でした。

薩摩弁で「西郷殿(さいごうどの)」が「せごどん」だとどこかで聞いたのに、肝心の薩摩人が「せごどん」と言わないのに、江戸っ子の勝海舟がやたらに「せごどん」というのは違和感あります。

まるで関西人ではない客室乗務員さんが、「ほんま、おおきに」と言っているみたい。

大事な会談の時も、ラフな江戸っ子言葉なのって、どうなのかな? 大事な大事な話し合いだから、時々は感極まってつい江戸っ子言葉が出てもいいけれど、オンオフを切り替えられる勝海舟だと思うのですが。

彼一流のほら話かもしれませんが、いざという時には、江戸焦土作戦を考えたり、官軍兵士によるレイプ被害から一般女性を守るため、吉原の女性たちに話を付けたという説もあるほど。

勝海舟の写真は眼光鋭く、何度も修羅場をくぐっているすごみやしたたかさが伺えます。

どうも初登場の時から、遠藤さんが勝海舟に見えないのも困りました。雰囲気が違いすぎ。

勝海舟と会談して、初めて「民」のことを思い出して無血開城に賛成するような展開でしたが、これもちょっと唐突過ぎ。どうせなら、この回ずっと悩んで悩んで、いろいろなことを考えて無血開城!と決断したほうが、西郷隆盛の評価も上がっただろうし、それが自然ではないのかな?

史実では、勝海舟が持参した天璋院の手紙に号泣したとか。天璋院と直接話をするよりも、そちらのほうが真実だし、感動的だと思うのだけれど。

上野の銅像のセリフには、もうがっかり。伏線のつもりなのでしょうが、この時代に銅像?

『西郷どん』ゆかりの地を訪ねて 鹿児島市内の西郷隆盛銅像と、K10カフェ訪問記

2018年12月23日

疑問4 徳川慶喜との会談

喧嘩の後始末は2人で話し合って、と勝海舟から言われた西郷は、上野寛永寺に慶喜を訪ねます。

この展開にもびっくりだけれど、鳥羽伏見の戦いから逃げたのは、幕府援助の見返りに薩摩の領土を要求していたフランス公使のロッシュから逃げたためだという慶喜のセリフに、我が家は??????炸裂。

こんなこと言わせていいのかな? フランスから文句が来ないかな? 確かにロッシュは江戸に逃げ帰った慶喜に再起を促しますが、薩摩を要求するなんて、あまりにもフィクションの度が過ぎる。

第一フランスが、薩摩をもらうメリットなんか全然ないと思うのです。そんなの、視聴者の多くもわかっていると思うけれど、磯田道史先生をはじめ、歴史考証の先生方が3人もいるのに、これは一体どういうこと??

慶喜が逃げたのは、水戸藩で受けた尊王教育が徹底していたからでは? どうしてその話にはならなかったのかな?

結局、慶喜も天璋院も西郷と仲良く和解して、円満にドラマから退場させるのでしょうか。

疑問5 一番苦労したのは西郷隆盛

と、勝海舟のセリフにありましたが、個人的にはよくわかりません。

確かに幕府軍と新政府軍との間で大変だったと思いますが、彼以外にもたくさんの人たちが(勝海舟や山岡鉄舟以外にも)、とても苦労していたはず。

疑問6 龍馬の目指した国をつくる

これも勝海舟のセリフですが、龍馬の目指す国と、西郷の目指す国は、同じだったのかな?

徳川慶喜への対応だけでなく、やはり2人の目指す道(乗る船)は違っていたと思います。

やたらにおでこを強調した大村益次郎の登場シーンと言い、なんだか最近、描いてほしいポイントがずれているような気がしています。

ドラマと事実の歴史は違うのですが、必要最低限の真実は抑えてほしいし、薩摩弁にこだわるのと同じくらい、勝海舟の言葉やほかの人々のセリフ、立ち居振る舞いにも配慮してほしいなと思いました。

これからの明治編、どうなっていくのかな。

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