江戸に行きたいけれど、お金がない!
『西郷どん』第8話は、薩摩藩主・島津斉彬(なりあきら)さま直々の命令で江戸に行くことになった西郷どんでしたが、莫大なお金がかかる。どうすればいい?!というお話でした。
自分も行きたいけれど選ばれない大久保利通(正助どん)が、遺された家族や莫大な費用のことを考えて辞退しようとする西郷どんと喧嘩したり、西郷どんのために皆で金策に走ったり。
そして一見悪妻のように見えた須賀さんが、手切れ金としてお金を工面するという劇的な展開に!
須賀を演じられた橋本愛さんのインタビューが紹介されていました。
「週刊西郷どん 語りもす!須賀編 須賀らしい愛」(『西郷どん』公式サイトより)
ツンデレの奥様は、西郷どんも私も好きでした。こちらは鈴木亮平さんのインタビューです。
「週刊西郷どん 須賀どん、あいがとなぁ」(『西郷どん』公式サイトより)
史実では、西郷どんと須賀さんが離婚するのは、西郷どんの江戸赴任中です。
夫のいない寂しさとあまりの貧しさに、須賀さんの実家が見かねて離縁させたとなっているのですが、真相はどうなのでしょう。
なお、須賀さんのその後については伝わっていないそうです。幸せになったのかな。
30両って今のお金に直すと?
ここで問題になるのが、江戸に行くのに、どうしてそんなにお金が必要なのだろうということ。
まず、30両って今のお金でどのくらいの価値がある?という厄介な問題から考えてみましょう。
1両は日常生活では大変高額なものであり、例えば徳川家康が鋳造させた慶長小判1両であれば米3~4石(こく)を入手する購買力を持っており、財布に入れて使用するような性質のものではなく、庶民には縁遠い存在であったと言われています。
石(こく)というのは体積を表す単位で、1石=10斗=100升=1,000合になります。つまり1石は、5合炊き炊飯器200台分!
ただ江戸時代と現在では、生活のしかたも、人々の使っていた品物の種類も、物価状況も違うので、お金の価値を単純に比べることはできません。
日本銀行金融研究所貨幣博物館の資料によると、米価で換算すると1両=約4万円ですが、大工の手間賃では1両=30~40万円、お蕎麦(そば)の代金では1両=12~13万円」という試算となっています。
もし最高レベルの大工の手間賃換算なら、30両は1,200万円! これは確かに大金です。
お蕎麦の代金換算なら、30両は390万円。これもなかなか、貧乏な下級藩士クラスでは捻出できません。
今の金額に直すと、途端にリアルな感覚になりますね。
なんでそんなにお金がいるのか?
そもそもどうして大名は、そして大名の家臣たちは江戸に行かねばならないのか。
全ては3代将軍徳川家光によって、1635年「武家諸法度(寛永令)」で定められた参勤交代のためでした。
大名は1年おきに、江戸と大名の領地を往復させられました。
国元(大名の領地)から江戸へ行くことを「参勤」、江戸から国元へ帰ることを「交代」と言います。
正室と嫡子(ちゃくし 跡継ぎの子供)は、幕府の人質として江戸に住まわされましたが、多くの大名は側室や嫡子以外の子供を自分の領地に置きました。
薩摩藩の場合、島津斉興(なりおき)の側室・お由羅やその子・島津久光は薩摩で生活しています。
正室から生まれた島津斉興の嫡子・島津斉彬は江戸で育ったので、標準語を話します。その代わり、藩主になって初めて本格的に領地に赴任するため、賢い島津斉彬さまでも、薩摩藩のことはよくわかりません。
だから斉彬さまは広く意見書を求めたし、西郷どんもせっせと意見書を書いたわけです。
参勤交代の目的は、大名の支出を増大させ、幕府に反抗できる軍事力をなくすためでした。
今なら出張する場合、「旅費」が支給される場合も多いでしょう。宿泊を伴う場合、宿泊費も支給されることもあるでしょう。
でも江戸時代の参勤交代は、すべて自腹でした。
交通機関も発達していないため、鹿児島から江戸まで、約50日前後の旅でした。
一説によると、1日1,000万円ほどの宿泊費・食事代が必要だったようです。
下級武士(薩摩藩のランクでは下から二番目)の西郷どんは、多分近隣の百姓家に宿泊でしょうが、それでも宿泊費は必要でしょう。
さらに大名行列は「軍事パレード」であり、大名家(薩摩藩の場合は島津家)の勢威や格式を示す絶好の機会となるため、特に鹿児島出発時(薩摩藩の人々が注目する)や江戸到着時(江戸の人々が注目する)は、従者の武士と言えども、みすぼらしい身なりをするわけにはいきません。
下級武士の西郷どんと言えども、新調の衣服に身を包み、物価の高い江戸で1年間生活できるように、それなりの準備をしなければならないのです。やっぱり最低でも、400万円くらい必要なのかな。
ちなみに、来年の大河ドラマ『いだてん~東京オリムピック噺(ばなし)~』でも、ストックホルムオリンピックに出場する選手たちは自腹で旅費や滞在費を支払わねばならず、出場を断念しようとする主人公(金栗四三 かねくりしそう)と、彼を支えて金策する家族や友人など周囲の人々の想いが描かれるはずです。
今はオリンピック組織委員会や日本オリンピック委員会、スポンサー企業などが負担しますが、パイオニアは大変だったのです。西郷どんと似たような状況に追い込まれていたとは!
須賀さんの気持ちもわかる!
さて、史実なら須賀さんと西郷どんの離婚は、江戸赴任中だったと書きました。
何とか手切れ金なしで西郷どんを江戸に行かせた場合でも、西郷どんが自分のお給料を全額とはいわなくても、かなりの金額を仕送りしていたり、須賀さんにこまめに手紙を書いたりしていたら、2人は離婚しなくて済んだのです。
でも西郷どんは、どうやらそれを怠ったようです。
彼は敬愛する主君・斉彬さまの手足となって様々な政治工作を行うのですが、藩からもらう交際費(別名工作費)に上乗せして、自分の給料も吐き出したのではないかと思われます。
憧れの斉彬さまや篤姫さまのために、自分のお金を惜しみなく使ったのでしょう。
龍馬にしても高杉さんにしても西郷さんにしても、どうも大きな目標のために動き回る人は、家庭(特に奥様)をほったらかしにしてしまいがち。
「私の夫はそういう人なんだ」「そういう人だから私は惚れた」と納得できるならいいのですが、普通の武士と結婚し、普通の妻としての幸せを夢見ていたら、生活費も入れないし、便りもないし、妻のことを気遣ってもくれない夫なんて最低ですよね。これって江戸時代の「ワークライフバランス」問題なのかも。
西郷どんは生涯で3度結婚しますが、きっと最初の結婚の失敗から、大切なことを学んだことでしょう。
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