大河ドラマで学び直せる日本史 ジョン万次郎と琉球と薩摩(『西郷どん』第6話)

スポンサーリンク



2年連続登場「謎の男」

昨年の大河ドラマ『おんな城主直虎』第2話(だったかな?)オープニングで「謎の男 ムロツヨシ」というテロップが出ていました。のちに瀬戸方久になる人物です。

今年の大河ドラマ『西郷どん』第5話でも、「謎の男 劇団ひとり」というテロップが出て、とても懐かしくなりました。

ムロツヨシさんの場合は、それまで全く名前の知られていなかった商人(井伊谷の人たちはほとんど全員無名ですが)ということもあり、本当に謎っぽかったけれど、劇団ひとりさんの場合は、その洋装スタイルから、これはもしかしたら、と感じた方も多かったはず。

そう、彼こそはジョン万次郎だったのです。

ジョン万次郎とは

土佐国中ノ浜(現在の高知県土佐清水市)で、貧しい漁師の次男に生まれた万次郎は、幼いころから働いて家族を支え、読み書きもほとんどできませんでした。

14歳の時に乗り込んだ漁船が足摺岬南で強風にあおられ遭難。

10日間の漂流の後、伊豆諸島の無人島・鳥島に流れ着き、僅かな雨水などの溜水、海藻、そしてアホウドリ(!)などを食べながら143日過ごしていたところ、食料を調達しに上陸したアメリカの捕鯨船に救助されました。

鎖国下の日本ではすぐに故郷に帰れるはずもなく、彼らは帰国する捕鯨船とともにアメリカに渡り、翌年(1842年)再び捕鯨船でハワイへ。

ほかの4人の乗組員はハワイで下船しましたが(2人は後に帰国)、万次郎だけは希望してそのまま捕鯨船の乗組員となり、彼を救出した捕鯨船ジョン・ハウランド号にちなみ「ジョン・マン」と呼ばれるようになりました。

ホイットフィールド船長は万次郎を気に入って養子にし、アメリカ帰国後は学校に通って英語、数学、測量、航海術、造船技術などを学びます。万次郎は寝る間も惜しんで勉強して首席となり、アメリカの民主主義や男女平等、そして人種差別も体験しました。

学校卒業後は捕鯨船の乗組員として活躍し、副船長にもなりましたが、故郷に帰りたいという気持ちはなくならず、1850年に当時ゴールでラッシュで沸き返るカリフォルニアの金鉱で働き、帰国資金を貯めました。

600$を稼いだ(!)万次郎はまずハワイのホノルルへ赴き、漂流していた仲間と再会。

「アドベンチャー号」という小舟(捕鯨の際に鯨に接近して銛を撃ち込むために乗るホエールボート)も購入し、仲間と一緒に上海行の商船に乗りました。

琉球&薩摩経由で故郷へ帰還

1851年、万次郎一行は琉球王国の摩文仁(まぶに)に上陸。命がけの上陸だったと思われます。

当時琉球王国は、薩摩藩の支配下にありました。琉球王国が薩摩の支配下でなく、あまり交流もない状態であったなら、万次郎の運命も変わっていたかもしれません。

大河ドラマで学び直せる日本史 薩摩藩と琉球王国(『西郷どん』第5話)

2018年2月18日

西洋の服装で上陸した万次郎たちは怪しまれ、尋問の後、鹿児島に送られます。

万次郎たちにとってまたまた幸運だったのは、薩摩藩主が「蘭癖(らんぺき)」と言われるほど西洋技術を取り入れることに情熱を傾けていた島津斉彬だったこと。

大河ドラマで学び直せる日本史 島津斉彬さまの頭の中(『西郷どん』第4話)

2018年2月16日

薩摩藩では万次郎一行を厚遇し(ドラマでは牢に入っていたけれど、フィクションです)、斉彬さまは自ら万次郎に海外の情勢や文化等について質問したとか。

ドラマみたいに、万次郎が斉彬さまの前で「〇〇じゃき~」「〇〇ぜよ~」と語っていたのでしょうか。

ちなみに「週刊西郷どんスペシャルゲスト第2回 気づいちょ?LOVEぜよ!」(『西郷どん』公式サイトより)に、劇団ひとりさんのインタビューがありました。

土佐弁が元々フランクなのか(龍馬もこんな感じで描かれますね)、万次郎がアメリカナイズされたという設定なのか、ちょっと態度大きい!と思いましたが。

万次郎の教示により、薩摩藩は和洋折衷船の建造に成功。のちに斉彬さまは開成所(洋学校)の英語講師として、彼を招いています。

薩摩藩での取調べの後、万次郎たちは長崎に送られ、幕府の長崎奉行所等で長期間尋問を受け(踏み絵もやったようです)、外国から持ち帰った文物を没収された後(ひどい!)、土佐藩から迎えに来た役人に引き取られ、土佐藩での取り調べの後、故郷に帰ることができました。

漂流から11年目のことでした。

彼の帰国後の活躍(幕臣に取り立てられ、中浜万次郎と名乗ります)や、影響を受けた人々について語るととても長くなります(咸臨丸に乗ったり、通訳になったり、龍馬に影響を与えたりなど)。

きっとこの後も、時々登場してくれるのではないかなと思っていますので、帰国後の活躍は、その時にまた改めて紹介しましょう。

とにかく強運、それ以上にとても努力家で仲間想いだったジョン万次郎の前半生でした。

スポンサーリンク

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です