大河ドラマで学び直せる日本史 西郷入水の真相(『西郷どん』第17話)

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『西郷どん』第17話のタイトルは、そのものずばり「西郷入水」。

西郷隆盛1人で入水したのではなく、清水寺の月照上人という僧侶と一緒に入水しました。

まず、この月照という人物から紹介しましょう。

筋金入りの勤皇僧・月照

月照は西郷隆盛より15歳年上で、讃岐国の出身です。

町医者の長男でしたが、叔父のつてを頼って清水寺の成就院に入りました。

まだ少年時代の西郷隆盛が右腕を負傷する前の1835年、成就院の住職になった月照ですが、尊王攘夷主義に傾倒して、公家たちや志士たちと交流するようになりました。

やがて、13代将軍徳川家定の後継者をめぐる「将軍継嗣問題」が起きると、一橋派の活動家の1人となり、幕府からは危険人物とされました。

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西郷隆盛が一橋派である主君・島津斉彬の手足となって活動することになるのが1854年からなので、月照は活動歴が西郷隆盛よりも20年ほど長い、筋金入りの志士だったのです。

西郷との関係

一橋派の西郷と月照は、朝廷工作のため共に協力し、京都で島津斉彬の訃報を知った西郷が殉死しようとしたとき、月照がそれを思いとどまらせたといいます。

『西郷どん』の原作小説では、ここで2人は結ばれました(西郷どんの最初の妻・須賀さんとはセックスレスだったという設定)。

2016年11月に行われた制作発表では、脚本家の中園ミホさんが「師弟愛、男女の愛、ボーイズラブまでラブストーリーがちりばめられている」と発言したため、その後の報道でも注目され、私も原作に忠実に行くのかな?と思っていました。

ところが実際には、そういうシーンはありませんでしたね。やはりNHK的には無理だったのかな?

2人は実際、どのような関係だったのでしょうか。

2人は一緒に逃げていない!

1858年に始まった安政の大獄で、一橋派には幕府の追及の手が伸びてきました。

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ドラマでは西郷は常に月照と一緒に行動し、自分の家にまで連れて帰り匿っていますが、実際のところは有村俊斎らに月照を託し、別行動をしていました。

月照ら一行は、筑前国で福岡藩士の勤皇の志士・平野国臣と合流し、山伏に返送するなどして関所を突破し、苦労して薩摩にたどり着きました。

一方、月照と別れた西郷は上京して同志らと挙兵を図りますが、幕府の捕吏の追及が激しく断念し、鹿児島に帰ります。

薩摩藩は月照だけ殺害したかった

鹿児島に帰った西郷は、捕吏の目をくらますため、藩の命令で「西郷三助」と改名させられました。

しかしそれは、薩摩藩士の身分を持つ西郷だからこそ。

薩摩藩にしてみれば、藩士は助けてやりたいが、薩摩藩に縁もゆかりもない月照は、ただの厄介なお尋ね者。

月照を保護することを拒否し、西郷に彼を「日向送り」にせよという命令を出しました。

これはただ単に身柄を移送するのではなく、国境で殺害することを意味していました。

西郷は月照、平野らとともに船に乗りましたが、前途を悲観して錦江湾(竜ヶ水沖)で月照と共に入水しました。

自分を頼ってはるばる薩摩まで来てくれた同志であり、偉大な先輩活動家、命の恩人でもある月照を1人だけ見捨てるなんて、西郷にはできませんでした。

彼にはそういう、とても優しいところがあります。そこが大久保さんと違うかな?(冷徹になれる大久保さんも私は大好きですが)。

2人は抱き合って冬の海に飛び込んだと言われます。

平野国臣らが2人を救助しましたが、若く体力のある西郷は蘇生したものの、月照は亡くなりました。享年46歳でした。

今回気付いたこと

大河ドラマでは、薩摩藩主の代替わりで西郷も逆風にさらされ、幕府に逆らったとして「日向送り」にされるところ、親友の大久保正助の歎願で「月照を斬れば西郷の命は助ける」という命令に変更したことになっています。

でもこれはフィクション。

薩摩藩としては、自分の組織の一員である西郷だけは、守ろうとしていました。

(藩の中から罪人を出したくないので、名前を変えて、隠し通すつもりでした)

公務員や会社員など、組織に所属していると、意に添わぬ仕事や組織の人間関係に悩むことも多く、「すまじきものは宮仕え」という気持ちにもなります。

でも、いざとなると、組織に守られることが多いのもまた事実。

いざとなったら逃げこめる「藩」や「藩邸」というものがある薩摩や長州の藩士たちと、組織を持たない月照や坂本龍馬ら浪士たちは、感覚が違っていたのかもしれません。

余談ながら、西郷や大久保、木戸孝允(桂小五郎)ら薩長の志士よりも、坂本龍馬の方が常に人気があるのは、司馬遼太郎さんの影響力も大きいですが、大きな組織に所属しない点にもあるのかな?と思えました。

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