土方さんはなぜ人気があるのか?
先週、NHKで放映された『英雄たちの選択「土方歳三”明治”に死す 盟友・近藤勇の生死を握る決断」』の再放送を、偶然見る機会がありました。
新選組の副長・土方歳三さんが、箱館五稜郭戦争で戦死した命日(5月11日)にちなんで、最近再放送されたようでした(本放送は2017年12月7日)。
おなじみの磯田道史さん、渡邊佐和子さんお二人の司会のもと、作家の江上剛さん、歴史学者の大石学さん、脳科学者の中野信子さんが、新選組や土方歳三について熱く語っておられ、とても面白かったです。
魅力的な人物がたくさん登場する幕末ですが、木原敏江さんの『天まであがれ!』や、司馬遼太郎さんの『燃えよ剣』で描かれた土方さんは、とても魅力的でした。
写真もとても素敵です(笑)。
現在も漫画やアニメ、ゲームなどで不動の人気を誇る新選組ですが、何がそんなに魅力なのでしょう?
「イケメン隊士たちが、信じるもののために、命がけで戦っている姿に熱くなる。」
「さまざまな個性あふれる隊士たちが素敵。戦隊ヒーローや恋愛ゲームみたい。」
などというご意見もあるでしょうが、『英雄たちの選択』を見ていて「そうだよね!」と思ったポイントをご紹介します。
武士になりたい!
新選組の局長・近藤勇も副長の土方歳三も、武士の出身ではありません。
2人とも武蔵国(武州)多摩地方の百姓の子供でしたが、「試衛館」という剣術道場に入門し、剣の腕を磨きました。
当時、多摩地方など関八州と呼ばれた地域は治安が悪く、百姓の間にも剣術を学ぶ気風があったのです。
剣の腕を上げた2人の夢は、「侍になりたい!」「武士になりたい!」ということ。
特に土方さんはその想いが強く、生家(土方歳三資料館)には彼がが少年の頃に「我、壮年武人と成りて、天下に名を上げん」と言って植えたという『矢竹』が残っています。
土方さんは豪農の末っ子なので、「武人になる」などというのは、夢のまた夢。
江戸時代の「士農工商」の厳しい身分制度下では、百姓が武士になるなんて不可能です。
でも彼は夢をあきらめず、家業の「石田散薬」の行商をしながら、各地の剣術道場で他流試合を重ね、剣の修行を積みました。
やがて1863年正月、土方さんは試衛館の仲間と共に、14代将軍徳川家茂を警護する「浪士組」に応募し、京都へ向かい、京都の治安を守る剣客集団「新選組」を結成。
「武士になる!」という夢は、京都で実現したのです。
新選組の「鬼の副長」土方歳三の誕生でした。
武士になれた理由
土方さんや新選組の魅力の1つは、彼らが「生まれながらの武士」ではなく、武士以外の階級から成り上がってきたこと。
新選組の隊士たちは、「生まれながらの武士」よりも武士らしく生き、そして武士らしく死んでいきました。
その「男の美学」も、新選組の大きな魅力ですね。
戦国時代の「下剋上」ではないですが、幕末も激しい動乱の時代であり、このチャンスに武士になろう!と考えた人たちは、幕府側にも討幕側にもいたのです。
ペリー来航がなければ、彼らが武士になることなど、なかったでしょう。
その中で土方さんは、まだ平和が続いていた少年のころから、武士になりたいという夢を抱き、努力を続け、周囲にも公言していました。
そしてチャンスをつかみ、誰よりも武士らしく、34歳の人生を駆け抜けたのです。
荒唐無稽な土方さんの夢が叶ったのは、時代の変化のほかに、普段から夢に向かって努力し、アンテナを広げ、浪士隊募集の情報を素早くキャッチし、チャンスを逃さなかったという彼の姿勢の結果でした。
夢や目標を語るときは、制約事項を取り払おう!
最近聞いた話の中で、印象に残ったことの1つが、「目標を考える時には、すべての制約事項を取り払ってください」というもの。
「こんなの本当に叶うの?」と思える大それた目標でも、心から真剣に湧き上がる目標であれば、しかるべき努力を続けることができるのです。
毎日目標を見据え、正しい努力を続ければ、短期間では無理かもしれないけれど、ある程度の時間をかければ(4年なり5年なり)、絶対その目標は叶うということでした。
「リミッターを外そう」という言葉も、よく聞くようになりました。
人間の想像力は意外と小さくて、勝手に限界を作っているそうです。
ちょうどブレーキを意識しながら、アクセルを踏んでいる状態らしいです。
土方さんはリミッターを外し、周囲の雑音などは意に介さず、ブレーキかけずにアクセル全開だったのです。
私も遅ればせながら、自分なりの目標を掲げ、努力精進。まだまだ修行中の日々です。
コメントを残す