シカゴのダンスカンパニー、トリニティ・アイリッシュ・ダンスの公演を見る機会がありました。
アイリッシュダンスを見るのはこれが2回目ですが、上半身を動かさずに足だけで踊るステップダンスなど、社交ダンスやバレエとはまた違う、とても印象的なダンスです。
禁じられた伝統文化
ブリテン島の西に隣接するアイルランドは、ブリテン島に発生したイギリスという国家の影響を常に受けてきました。
12世紀にイギリスによるアイルランドの植民地化が進み、16世紀にはアイルランドの反乱を鎮圧したイギリス国王ヘンリー8世により、完全にイギリスの統治下に置かれることに。
アイルランドの人々は、自分たちの言葉であるゲール語(ケルト語に由来する言語)を禁止され、踊ることも禁止されてしまいます。
民族音楽など、伝統的文化活動も一切禁止されてしまいました。
このため、伝統的なアイルランド音楽の旋律は家の中でひそかに歌い継がれ、またそのリズムは足を踏み鳴らすことによって、親から子へとこっそりと伝えられるようになりました。
このため、窓を通して外から他人に見られた時に、上半身を動かさず(踊っているとは気づかれず)、下半身でリズムを刻むダンスが誕生したと言われています。
最初は1つのステップに対して2つのステップで応えるシンプルな踊りから始まりましたが、年を経て、複雑なリズムパターンを伴う芸術性を有した舞踊へと進化しました。
伝統文化の復権とアイルランド移民の増加
1800年代後半にその支配が解かれると、アイルランド復興運動が起こり、アイルランド人は彼ら独自の文化の建て直しを図りました。
長い抑圧から解放された反動から、ステップダンスは爆発的な進化と広がりを見せます。
一方1840年代後半、アイルランドでは主要食物であったジャガイモの疫病により不作が数年続き、ジャガイモ飢饉と呼ばれる大飢饉となりました。
ヨーロッパのほかの地域でも不作が続きましたが、アイルランドの場合はイギリス人地主たちが自分たちの地代収入減少を心配し、餓死者が出ているにもかかわらず、アイルランドからイギリスに食料が輸出される事態に。
この結果、国民の20%が死亡し、10~20%が国外へ脱出(アイルランドの人口は、最盛期から半減したそうです)。
アメリカに渡ったアイルランド移民も多く、アイリッシュ・ダンスは国境を越えて普及することとなったのです。
大ヒットした映画『タイタニック』でも、アイルランド系移民の主人公がタップダンスを踊っていましたが、このタイタニック号の航海は1912年で、このころもアイルランド系移民が多かったのでしょう。
アメリカでの流行
新大陸に夢を馳せ、渡米したものの、移民の多くは雇用に恵まれず貧しい生活を送りました。
しかしその結果、彼らは当時移民にも門戸が広かったショウ・ビジネスの世界を目指すようになりました。
やがて優れたアイリッシュ・ダンサーが、次々とブロードウェイに進出して脚光を浴び、総合芸術となって現在に至っています。
タップダンスとの共通点
前述したとおり、今回鑑賞したトリニティ・アイリッシュ・ダンスもシカゴのダンスカンパニー。
今日の公演では、伝統的な上半身を動かさないステップダンスのほか、日本の和太鼓の動きを取り入れたダンス、アフリカやインド風のダンスもあり、アイリッシュダンスをベースに独自の進化を遂げていました。
なお、アメリカ独自のタップダンスは、南部の黒人奴隷のダンスだったのだとか。
元々労働の後のダンスでドラムが使われていたけれど、1739年にサウスカロライナ州で暴動がおこったとき、ドラムの使用が禁止され、ドラムの代わりに足を踏み鳴らしたことがタップダンスの起源とされています。
アイリッシュダンスもタップダンスも、迫害の歴史から生まれたものなんですね。
迫害の歴史が「魂の叫び」を生み、それが私たちの心を打つのでしょうか。
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