トゥーランドット姫の世界 オペラから見たアジア

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イタリアのバーリ歌劇場が演じる『トゥーランドット』を見ることができました。

あのトリノ五輪で荒川静香さんが金メダルを取った時の曲『誰も寝てはならぬ』があまりにも有名ですが、オペラを見るのは初めて。

オペラを見ていると、色々な発見がありました。

『トゥーランドット』は未完成

実は『トゥーランドット』は、12人の作曲家によりオペラにされたという人気の物語。

でも私たちが思い浮かべるのは、プッチーニ作曲のオペラです。

プッチーニは喉頭がんと闘いながらオペラの作曲に取り組みましたが、未完のまま1924年に死去。

私たちが見たオペラも、彼の作曲した部分だけだったので(第3幕の途中、王子を愛する女奴隷リューが自殺する場面まで)、結末がどうなるのかわからない、不思議な終わり方になりました。

他の作曲家が補完した、ハッピーエンド結末の『トゥーランドット』が上演されることもあるそうです。

トゥーランドット姫の時代

ウィキペディア』によると、作品の舞台は「いつとも知れない伝説時代の北京」です。

でも「紫禁城」が出てくるし、北京が都だから、時代は明か清でしょう。

ちょっとコミカルな3人の大臣ピン・ポン・パン(往年の人気子供番組『ママとあそぼう!ピンポンパン』はこの3人にちなみ命名)の衣装は、辮髪こそ見られないものの、帽子に満州服です。

一方、居並ぶ仮面の兵士たちの甲冑は兵馬俑っぽいし、トゥーランドット姫の父親であるアルトゥーム皇帝は、『三国志』に登場しても違和感を感じない、伝統的な中国の皇帝ファッションでした。

トゥーランドット姫に至っては、白い長衣(ドレス?)で、清楚だけれど、とても中国の姫君とは思えません。

冠やかんざしなど、髪飾りもありませんでした。

清純だけれど、心が氷のように冷たい姫君を、この衣装で表現していたのかな。

モンゴル人に殺された姫君

彼女が求婚者に謎を出し、解けないとどんどん処刑していくのには、理由がありました。

姫の先祖である美しく穏やかなロ・ウ・リン姫がいた時代、中国がタタール人との戦いに敗れ、姫は(凌辱され?)殺害されたのです。

タタール人とは、モンゴル人のこと。

モンゴルと南宋、或いは金との戦いをイメージしているのでしょうか。

それにしても、遠いご先祖の話を持ち出され、その仇として処刑される王子様たちこそ、たまったものではありません。

まぁ謎を解けば、絶世の美女と次期皇帝(なんとなくトゥーランドット姫しか年老いた皇帝には子供がいない様子)の座が手に入るのですから、王子様にすればハイリスクハイリターンの「大博打」かな。

トゥーランドットは中央アジア出身?

ところで主人公の「トゥーランドット」ですが、最初からこの名前ではなかったようです。

物語には当初「トゥーラン」の地名はあるものの、「トゥーランドット」という人名はありませんでした。

ヨーロッパに紹介される過程で、「トゥーランドット」という人名が誕生したようです。

この「トゥーラン」という地名は、中央アジアのトルキスタン地方のこと。

この物語をヨーロッパに最初に紹介したフランス人のペティによるタイトルは、「カラフ王子と中国の王女の物語」なので、トゥーランドットは中央アジア風の名前を持つけれど、れっきとした中国人。

この辺りの謎解きは、以下のサイトに詳しく書かれていました。

「北京オリンピック記念:オペラ『トゥーランドット』考(前編)」(月刊クラシック音楽探偵事務所)

オペラには描かれなかった、皇帝一家の複雑な事情がありそうです。

王子達の出身国

オペラではトゥーランドット姫は第2幕からしか声を出さず、主役は一体誰なんだろう?と考えました。

やはり王子様かな?

この王子様も不思議な人です。

どこの誰かもわからなくて、調べてみると韃靼(だったん)国の元王子カラフで、戦争に敗れて国を追われ、放浪中とのことでした。

韃靼国というのもモンゴル系の一民族。

司馬遼太郎さんの『韃靼疾風録』やボロディンの『韃靼人の踊り』でおなじみの韃靼ですが、モンゴル系の部族を指す言葉です。

カラフ同様トゥーランドット姫に一目ぼれし、処刑された王子たちの出身国は、ペルシアやウズベキスタン、インドなど。

これらの国々と中国は、交流があったということですね。

韃靼国のティムール王

カラフの父親である国王も国を追われ、盲目となり、若い女奴隷のリューに助けられ、彼女の物乞いで命をつなぎ、さすらっていました。

この元国王の名前も舞台では明らかにされませんでしたが、調べると「ティムール」とあったのでびっくり!

中央アジアにティムール朝を建国した、モンゴル系の英雄ティムールと同じ名前です。

ティムール朝の建国者は、国を追われることはなかったけれど、右足が不自由というハンディがありました(盲目ではありません)。

建国者ティムールは、征服地で残虐行為を働いたものの教養人だったようで、オペラのティムールも、恋に目がくらんだ息子とは対照的な落ち着いた父親でした。

今回の気づき

プッチーニは、中国を舞台にした『トゥーランドット』の他、日本を舞台にした『蝶々夫人』、カリフォルニアを舞台にした『西部の娘』の「ご当地三部作」を作曲しています。

『蝶々夫人』も日本人の私たちから見ると、不自然な人名や展開があり、「ヨーロッパから見た日本」のイメージを知ることができます。

その一方で「植民地時代の偏見」を問題視する人々もいます。

『蝶々夫人』に登場する「芸者」「切腹」は、当時のヨーロッパで「日本らしさ」を演出するのに、まだ欠かせなかったのでしょうか。

『トゥーランドット』も、中華人民共和国では、西洋諸国による中国蔑視の作品とされ、初演は1998年でした。

この作品は20世紀初頭に作られたけれど、一般のヨーロッパ人のアジアや中国に対する認識は、まだまだこのような、おとぎ話めいたものだったのかもしれません。

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