昨日(6月24日)に京都で開催された、町田明広先生の講演「明治維新150年 西郷隆盛とその時代ー元治・慶応期を中心に」感想の続きです。
前回は、薩摩藩の家老として活躍した小松帯刀(たてわき)についての感想が中心でしたが、今日は西郷隆盛と島津久光を取り上げます。
久光もつらいよ
西郷を遠島処分にし、文久の改革を実現させて中央政界デビューを果たした島津久光ですが、一橋慶喜とは、激しく対立することになりました。
町田先生によると、朝廷と幕府とのパイプ役になった久光の存在が、大きくなりすぎたのが原因。
久光は山階宮還俗問題で朝廷に無理強いをしたため、孝明天皇とも疎遠になってしまい、鹿児島に帰ることを決意しました。
沖永良部島に流されていた西郷の赦免を許可したのは、その直前の1864年。
薩摩藩の国父の立場として「藩士が騒々しく困った次第なので」、西郷の友人・吉井友実らに沖永良部島行きを命じましたが、久光としては西郷は「そもそも許しがたい者」でした。
自分に向かって「ジゴロ(田舎者)」と言い放った西郷は大嫌いだし、西郷が暴走したときの怖さ(命令を無視して勝手に行動する)も知っているけれど、君主として、彼を起用せざるを得なかったのでしょう。
彼の悔しい胸中が思いやられます。
だから、歯形が残るほど、咥えていた銀のキセルを噛みしめたのでしょう。
西郷の必勝方程式
沖永良部島から呼び戻された西郷は、久光が鹿児島に帰った後の京都で、小松帯刀の参謀として、軍事や外交面を担当していきます。
西郷隆盛は、難しい相手と交渉する場合、独特の戦略スタイル(勝利の方程式)で乗り切ろうとする傾向がありました。
まず、相手の根拠地に丸腰で乗り込む。
そして相手のトップと、腹を割って話し合う。
時には上司に独断で相手を信じ、相手の条件を呑んで譲歩することもある。
先日の米朝首脳会談のように、トップ会談で物事を進展させ、万が一、丸腰の自分が殺されるようなことがあったら、それを利用して、また別の手段を取ればいいという発想です。
これで第1次長州征討を平和的に解決したし、征韓論(正確には「遣韓論」でしょう)もこの考え方です。
駿府にいた西郷を訪ね、命がけで江戸城総攻撃の中止を訴えた幕臣・山岡鉄舟も、似たようなタイプだったから、西郷はついつい心を動かされました。
「命もいらず、名もいらず、官位も金もいらぬ人は始末に困るもの也」という西郷の言葉がありますが、このような人物は、山岡鉄舟や西郷隆盛その人だったのです。
扱いにくい西郷隆盛
ところが実際、西郷隆盛は「始末に困る」人でした。
磯田道史さんも『素顔の西郷隆盛』の中で指摘されていますが、町田先生も、西郷隆盛には扱いにくい面があると紹介されていました。
繊細な(ナイーブな)神経を持ち、人の好き嫌いが激しい。
同僚や上役とは、なかなか上手くいきません。
その最たるものが、島津久光だったでしょう。
その代わり、無条件で慕ってくれる若い人たちにはとても親切なので、若い人たちの間では絶大な人気があったのです。
沖永良部島で西郷は、不本意な入牢生活を送っている間にかなり精神修養をし、これ以後島津久光に対して、「ジゴロ(田舎者)」発言をすることもありませんでした。
その分無口になってしまい、「わかりにくい」人物になってしまったという説もあります。
幕末の京都と西郷の活躍
1864年の禁門の変では、薩摩軍の総指揮を執ったのは小松帯刀のようですが(小松帯刀の書簡より)、通説は西郷となっています。
大河ドラマはどう描くでしょうか?
この禁門の変で、西郷は負傷しながらも見事に勝利。
続く第一次長州征討では、総督の徳川慶勝(尾張藩前々藩主)の信任の下、早期撤兵に向けた周旋を事実上1人で実行したのです。
彼でなければ、第一次長州征討の平和的解決もなかったでしょう。
町田先生によれば、これが西郷の生涯で最大の功績。
それは島津久光も認めたようで、鹿児島に戻った西郷は久光によって初めて評価され、腹心の大久保利通を凌ぐ地位に浮上したのです。
この辺りも『西郷どん』ではどのように描かれるのか、今から楽しみです。
今回の気づき
キヨソーネ描く西郷の肖像画や、上野公園のシンボルの1つになっている西郷像がいつも穏やかに微笑んでいるため、西郷さんは誰にでも親切で、おおらかな人というイメージがありました。
でも調べてみると、おおらかさとはあまり縁のなさそうな人でした。
どんな人にでも光と影があるように、西郷さんにも欠点はあります。
やっぱり西郷さんは、大河ドラマでも描かれたように、「意識高い系」の人なのかな。特に若いころは。
大河ドラマで学び直せる日本史 薩摩切子と「意識高い」西郷どん(『西郷どん』第13話)
[…] 「西郷隆盛とその時代 元治・慶応期を中心に」 (その2) […]
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