牢生活の後遺症
スペシャル編を挟んで、新しく第3部幕末編がスタートした『西郷どん』。
史実では、沖永良部島から鹿児島へ戻った西郷隆盛は、約1年7カ月に及ぶ牢での生活のため、足腰が立たなかったそうです(それでも這うように、斉彬さまの墓参は行いました)。
「牢生活のため足腰が立たなくなった」といえば、あの黒田官兵衛が思い出されますが、後半は優遇されているように感じられた西郷どんでも、牢生活はとても大変だったのでしょう。2人とも真面目そうだから、牢で正座ばかりしていたのかな?
島津久光との対面
ドラマでは、西郷どんと島津久光との対面も描かれていました。
この対面は実際行われたと思うのですが、久光が悔しさのあまり、銀のキセルを歯形が残るほど噛み締めたのは、大久保さんや小松帯刀らの勧めで、西郷の赦免償還を決定したときのことだと記されています。
まぁドラマとしては、キセルをギリギリ噛んで、怒り心頭の久光に対しても、穏便に事を済ませる西郷どんを強調したかったのかもしれませんが、史実と違うから気になります。
今回は「ジゴロ」発言もなかったし、西郷どんも我慢してたんだから(沖永良部島で人間力が鍛えられた成果だと思います)、余計なストレスを久光にかけさせなくてもよかったのでは?と思いました。
参預会議(さんよかいぎ)の実態
さて、今回のドラマの見せ場の1つは、『歴史秘話ヒストリア』でも紹介された、大久保さん渾身の宴会芸「秘技!畳踊り」(大久保さん、本当にお疲れ様です)。
そしてもう1つが、参預会議ではないでしょうか。
この会議は、孝明天皇の命令で有力大名が上京し、天皇の簾前(れんぜん=すだれの前)で2日おきに会議を行い、国政を論じたもの。
会議には、一橋慶喜(将軍後見職)、松平春嶽(越前藩前藩主、前政事総裁職)、山内豊信(やまうちとよしげ 前土佐藩主)、伊達宗城(だてむねなり 宇和島藩前藩主)、松平容保(まつだいらかたもり 会津藩主、京都守護職)、そして島津久光(薩摩藩主の父)という、そうそうたるメンバーが出席。
しかしこの会議は、大きな問題を抱えていました。
幕府の権威低下と親藩・外様大名の台頭、攘夷をめぐる本音と建て前、長州藩をめぐる問題が主な問題点です。
1 長州藩処分問題
1863年、長州藩の唱える過激な尊王攘夷は、幕府との協調を願う孝明天皇の考え方とは、大きく違うものになっていました。
天皇の意を受けた中川宮が会津藩と薩摩藩に命令し、長州藩と尊攘派公卿を京都から追放します(八月十七日の政変)。
この長州藩の処分を巡っては同情論もあったのですが、この年末、関門海峡を通過中の薩摩の蒸気船が長州藩に砲撃されて沈没する事件が起き、島津久光は長州藩に対し強硬的な態度をとりました。
長州藩は、「薩賊会奸(さつぞくかいかん)」と下駄に書いて踏みつけるだけではなかったのです。
2 横浜鎖港問題
孝明天皇は大の異国嫌いであり、安政の五カ国条約の廃棄や海外貿易を許可した諸港の閉鎖(鎖港)を願っていました。
しかし参預会議に集まったメンバーには開国的な考えを持っている大名が多く、攘夷は不可能であると認識していました。
これが孝明天皇にとっては、大きな失望だったのです。
一方幕府も攘夷は不可能と思っていましたが、その前年、将軍家茂が天皇から攘夷を約束させられており、島津久光を警戒した一橋慶喜は、ことさら横浜鎖港の実行を主張することになり、両者は激しく衝突しました。
3 一橋慶喜の暴言
ドラマのように「芋」を連呼したかどうかはわかりませんが、実際の慶喜も、かなり暴言を吐いていました。
横浜鎖港問題で一橋慶喜と島津久光の対立が激化したため、中川宮は自邸で酒宴を開き、会議のメンバーを招待しました。
関係改善の場として設定された酒宴にもかかわらず、泥酔した一橋慶喜は中川宮に対し、島津久光・松平慶永・伊達宗城を指さして「この3人は天下の大愚物・大奸物であり、後見職たる自分と一緒にしないでほしい」と暴論を吐いたと伝わります。
さらに中川宮に対し「島津からいくらもらっているんだ?」などと暴言を発して体制を崩壊に追い込むなど、手段を選ばぬ交渉を行なったのだとか。
本当に酔っていたのか、それとも泥酔したふりをしていたのか。
ともかく機嫌を損ねた島津久光は、完全に参預会議を見限り、亡き兄斉彬が目指した幕府への協調姿勢を諦めるに至ります。
一方一橋慶喜も将軍後見職を辞任し、会津藩主松平容保(京都守護職)、その弟である桑名藩主松平定敬(まつだいらさだあき 京都所司代)と半ば幕府から独立した勢力を、京都で構築することとなるのです。
孝明天皇を擁して国政を担うのは、島津久光を中心とする参預会議の諸大名ではなく、この自分なのだという慶喜の決意でしょう。
こうして参預会議は崩壊していきました。
今回の気づき
幕末は、色々な視点から見る必要があると思います。
薩摩藩でも島津久光と西郷、大久保の感覚は違うし、薩摩と長州、一橋慶喜、会津藩の人々から見れば、この状況はどう見えているのだろう?と想像しないと、特定のヒーローが活躍するだけのドラマになりかねないかもしれません。
会津藩の人々の視点から見た『八重の桜』は、とても新鮮でした。
ドラマでは、参預会議の細かい部分は描きにくかったかもしれませんが、島津久光と一橋慶喜の対立など、なかなか大事なポイントではないかなと思いました。
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