大河ドラマで学び直せる日本史 岩倉具視・蟄居の理由(『西郷どん』第30話)

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公家らしくない岩倉具視

『西郷どん』第30話のタイトルは「怪人・岩倉具視」でした。まるで怪人二十面相のような、公家らしくないタイトルだったのですが、史実もそうみたいです。

幼少期から、容姿や言動に公家らしさがなく、異彩を放っていたらしい。

でもキャスティングが、笑福亭鶴瓶師匠というのはどうなんだろう。悩みます。

もし「麿」という言葉がなければ、完全に鶴瓶師匠のまんまでした。

下級公家の岩倉家(具視は養子)は江戸時代に分家した新しい家で、官職は高くなく、家に伝わる和歌や蹴鞠、音楽などの特技もないため、他の公家たちと同じように貧しい生活でした。

だけどあそこまで、鶴瓶師匠みたいだったのかな? 冒頭に登場した近衛忠熙(ただひろ)親子と全然違いました。ちなみに近衛家は、京都御苑の北部(同志社大学の向かい)に、今もその痕跡をとどめている大邸宅で、貧乏公家とは雲泥の差ですね。

鶴瓶師匠も、役作りではかなり困っておられたようですね。

週刊西郷どん 語りもす!岩倉具視編 恐るべき人間力 怪人・岩倉具視

に、鶴瓶師匠のインタビューが掲載されていました。

若き日の活躍

岩倉具視は堀河家の次男として誕生し、朝廷儒学者の伏原宣明(ふせはらのぶはる)に師事したところ、師の伏原が、彼の大器ぶりを認め、岩倉家への養子を推薦したといいます。

ペリーが来航した1853年、岩倉は関白・鷹司政通(たかつかさまさみち)に歌道を学ぶため入門。

当時の公家社会は身分が厳しく、家格のみで官位の昇進まで固定され、大多数の下級公家は朝議に出席できる可能性も薄かったのですが、彼は歌道入門を機会とし、関白に朝廷改革の意見書を提出しました。

1858年の日米修好通商条約調印については、調印の勅許もやむなしとする関白・九条尚忠に反対し、反対派の公家たちを結集して参内したり、関白邸に乗り込んで座り込んだりと、33歳の若手ながら、かなり行動力があります。

結局岩倉らの運動が勝利し、天皇は条約に勅許を与えませんでしたが、この頃はまだ岩倉は幕府と朝廷とが協調することを考え、井伊直弼が実権を持った時代もその考え方は変わりませんでした。

そして井伊直弼が暗殺され、公武合体の動きが活発化すると、1860年に岩倉は、和宮と徳川家茂との縁組に賛成する上申書を天皇に提出。

和宮降嫁の手配を行い、和宮とともに直視として江戸に下り、老中とも面会しました。

和宮降嫁が無事に済むと、孝明天皇からお褒めの言葉をいただいたのでした。

岩倉失脚

ところが長州藩が京都で勢力を伸ばし、尊王攘夷運動が活発化すると、和宮降嫁に賛成した岩倉は、佐幕派とみなされるようになりました。

そして尊王攘夷派は岩倉排除を画策。

三条実美(さねとみ)ら13名の公卿が連名で、岩倉ら「佐幕派」を弾劾する文書を関白の近衛忠熙に提出しました。

この近衛忠熙は、篤姫の養父となり、島津斉彬らと共に一橋派だったあの公卿。

安政の大獄で落飾(出家)・失脚しましたが、また復活していたのです。

『西郷どん』30話冒頭では、彼に岩倉が意見書を出していますが、これはフィクションかな? ここで西郷どんが岩倉を知る設定なんですね。

やがて孝明天皇にも親幕派と疑われた岩倉は、蟄居処分となり、左近衛権中将の辞官と出家を申し出るよう命じられ、岩倉はそれに従い朝廷を去りました(37歳)。

彼は岩倉家菩提寺の霊源寺で出家します。

苦難の蟄居時代

しかし尊王攘夷派の志士たちの中には、岩倉への処分は甘いと命を狙う動きもあったため、彼は自宅にいることもできなくなりました。

時にはこのような山中に、逃げたこともあったのだとか。

おまけに近衛忠熙が、洛中に住んではならぬと追放令を発令。

移住先に困っていたところ、長男が洛北の岩倉村に住居を用意してくれたのでそこに移ります。地元の大工から古い家を譲り受けたものでした。

彼はここで、5年間を過ごします。

1864年、京都の尊王攘夷派が一掃された禁門の変の後も、彼への赦免はありませんでした。

普通の人ならこの辺りで政界復帰を諦め、世捨て人になったり、自暴自棄になったりすると思いますが、彼は負けなかったのです。

やがて薩摩藩や朝廷の同志たちが彼のもとを訪れるようになり、岩倉も政治活動を再開。

倒幕に傾きつつある薩摩藩の西郷・大久保らとともに、公武合体派から倒幕派へとその政治思想を変えていくことになるのです。

彼が赦免されたのは、1867年11月(42歳)。

だからドラマの『西郷どん』では、もう少し岩倉村にいることになるはずです。

岩倉具視の知名度アップになるか?

勝海舟や坂本龍馬、そして西郷や大久保、長州の桂小五郎(木戸孝允)、土佐の板垣退助、肥前の大隈重信に比べると、岩倉具視の知名度は低いと思います。

大河ドラマでは、『篤姫』で片岡鶴太郎さん、『八重の桜』で小堺一機さんが演じておられましたが、特に話題になることもなかったような記憶があります。

今回の岩倉具視は、出番も多そうだし(30話はほとんど岩倉具視の話だった)、今後も活躍しそうな感じがします。

明治になって、征韓論層で西郷隆盛と対立し、また自由民権運動にも否定的だったため、岩倉具視には「悪役」というイメージがあるみたいですね。

学習院や日本鉄道会社を作るなど、近代日本の歩みに貢献した政治家であり、薩長土肥の政治家たちと実力で互角に渡り合えた、すごい人だと思うのですが、肖像画も目つきが鋭いし、悪役っぽくなってしまっているのでしょうか。

彼の子孫には加山雄三さんや喜多嶋舞さんなど、知名度抜群の人々もいます。

今回の大河ドラマで、岩倉具視本人の知名度が上がり、彼の業績についてももっと知られるといいですね。

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