「本能寺の変に黒幕はいたか?」(後編)

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先日、大阪よみうり文化センター京都主催の、呉座勇一先生の講演会「本能寺の変に黒幕はいたか?」を聞く機会がありました。

これは『陰謀の日本中世史』刊行記念の講演会で、その時のお話や感想をまとめた後編です。

大河ドラマも採用した?!徳川家康黒幕説

これも前編で紹介した黒幕説の1つですが、とても驚かされた説でした。

ミステリーの定番として、「被害者と思われていた人物が実は犯人」という発想もあるそうです。

これに該当するのが、信長は実は徳川家康の暗殺を企てており、光秀に家康の殺害を命じたところ、光秀が家康と手を結び、信長を殺したとするもの。

本能寺の変では、伊賀越えでひどい目にあった家康ですが、実は光秀に協力した謀反人という設定です。

これは光秀の子孫という明智憲三郎氏の説ですが、これって昨年のNHK大河ドラマ『おんな城主直虎』で描かれたストーリーだと気づいた時には、本当にびっくりしました。

第48話「信長、浜松来たいってよ」で放映されたのは、信長が京に家康を招き、家臣ともども皆殺しにする計画があるという話でした。

今までさんざん冷酷な「魔王」信長(市川海老蔵さんが怖かった!)にひどい目に遭わされた家康、今川氏真、そして明智光秀が手を組んで、信長に立ち向かったというのが「本能寺の変」。

信長が本当に京で家康たち一行を殺すつもりだったのか、家康にも私たちにもわからないまま、堺から京に向かった家康に、本能寺の変の知らせが届くという展開でした。

NHKがよくこのマイナーな説を取り上げたなというのも驚きですが、『直虎』のストーリーの面白さと海老蔵さんの名演技で、「そういうこともあるかもね」と思わせたのはすごいと思いました。

『直虎』の明智光秀はかなり年配だったし、人質として自分の幼い息子の自然(じねん)を、今川氏真に渡していたりもしています。

ただ、歴史学者の呉座先生によると、毛利や上杉とまだ争っているときに、信長が家康を殺す理由は特になく(まだ利用価値があった?)、光秀と家康が2人だけで密談することも不可能だそうです。

でも間に今川氏真が入るとどうでしょう? 密談は浜松城で行われたという『直虎』の解釈はとても面白いなと思いました。

黒幕説の共通の問題点

黒幕説をとると、どうしても光秀が早い段階から謀反を計画しており、他の勢力と連絡を取っていたと考える必要があります。

しかし実際に謀反を起こそうとすると、織田家のほかの重臣がいると困るし、大体信長は織田家家督を嫡男の信忠に譲っているため、仮に信長を倒せても、信忠が光秀を討つ可能性が高い。そのためには、信長と信忠を同時に抹殺する必要があり、それは非常に困難なことでした。

光秀以外の重臣が京を離れ、信長と信忠が京にいたというのは、実は非常な幸運によるもので、光秀は突然現れたそのチャンスを逃さず、単独で突発行動に及んだというのが、呉座先生の見解でした。

誰かに相談する時間的余裕さえ、なかったのかもしれません。

光秀の将来に対する不安が原因だった?

それでは黒幕がいないとして、光秀が突発的に信長を殺そうとした原因とは何でしょう?

呉座先生は、信長の四国政策の転換を挙げておられました。

これも最近注目されている説で、信長は当初、土佐の長宗我部元親と友好的で、光秀は長宗我部との取次役に任命されます。

ところが長宗我部の急速な勢力拡大により、信長は次第に長宗我部と対立。ついに両者は断交となってしまいました。

こういう事態になったとき、取次役が討伐司令官となるのですが、四国攻めの司令官は光秀ではなく、織田信孝に決定しました。

光秀の重臣・斎藤利三と長宗我部元親が、美濃出身の幕府奉公衆(将軍の親衛隊)・石谷光政を通じて縁戚であることを警戒されたのでしょうか。

光秀は面目をつぶされた上、それ以後大きな手柄を立てられず、家康の接待や秀吉の援軍など、補助的な仕事ばかりしていました。

そんな光秀の息子はまだ10代。それに対して自分は67歳!柴田勝家(60~61歳)よりも年上だと言われました。

能力主義という名のブラック企業・織田家には、敬老精神などはみじんもなく、信長の信任を失えば用済みとして粛清されるかも。

信長は代替わりの際、大幅な領地削減をすることがあり(年若でまだ目立った手柄を立てていない当主の場合は特に)、これも光秀を不安にさせていたのでしょう。

老後の不安というと、何やら他人事とも思えませんね。

再来年の大河ドラマ『麒麟がくる』では、どんな本能寺の変を描いてくれるのか、とても楽しみです。

信長は裏切りを察知するのが苦手

これはとても面白く拝聴しました。

信長は独善的で(自信家だから?)、相手は自分に感謝して当たり前、絶対裏切るわけがないと信じ込んでいるのです。

だらかいつも裏切りに気が付かない。

浅井長政の裏切り第一報を聞いても、「信じられない」という反応。

また信長が「武田と上杉の和睦を取り持つ」と手紙を送った武田信玄は、すでに足利義昭に応じて遠江侵攻を開始していました。

信長は、老獪な信玄を甘く見てしまったのです。

この結果、井伊家や徳川家が苦しむことになったのですが、それは『おんな城主直虎』でしっかり描かれました。

大河ドラマ『軍師官兵衛』で描かれた松永久秀や荒木村重の裏切りに対しても、信長はその理由を理解できず、「話せばわかる」と思っていたそうです。

そのおかげで黒田官兵衛は、ひどい目に遭ったのでした。

人の気持ちを理解するのは確かに難しいけれど(私も苦手です)、でもちょっとこれは、巻き添えになった人が多すぎる。

今でも人気の高い織田信長ですが、やはり何か長じたところがある一方で、弱点というか、欠けたところもあるのだなと思いました。

呉座先生の印象

今回、呉座勇一先生の講演を初めて聞く機会がありました。

先生は終始冷静に1つ1つの説を検証され、緻密に自説を積み上げていかれます。論理的な方なんだなと思えました。

先生の本を持参された参加者もいて、講演の後、気軽にサインしておられる姿も拝見しました。

近いうちに、『陰謀の日本中世史』を絶対読むつもりです。どうもありがとうございました。

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