小松帯刀(たてわき)は騙されない
『西郷どん』第31話の冒頭に、少しびっくりしたエピソードがありました。
小栗旬さん扮する坂本龍馬が勝海舟に化けて、薩摩藩家老の小松帯刀に面会しているのです。
でも史実では、軍艦奉行を罷免された勝海舟が神戸海軍操練所の龍馬たちを心配し、江戸に出立する前に、小松帯刀に面会して後事を託していました。
こうして龍馬たちは、京都の薩摩藩邸に保護されることになったのです。
なお、グーグルマップには2箇所の薩摩藩邸が表示されていますが、上が京都、下が伏見の薩摩藩邸です。大河ドラマで変装した龍馬が訪れたのは、どちらかな?
大体、罷免されたとはいえ元軍艦奉行になりすますのは、いくら龍馬でもやらないでしょうし(犯罪行為?)、勝海舟の顔を知っている人も、薩摩藩の中にいるはずです。
特に小松帯刀は、京都で朝廷・幕府・諸藩との連絡役や交渉役を務めているのですから、たとえ初対面でも、こんな変装なんて簡単に見破れるはず(特に髪型と言葉が変)。
外交に力を入れている薩摩藩は、有名な勝海舟を誰も知らないという田舎者の藩ではないと思うのですが、どうなんでしょう。
ちょっと制作サイドの意図がわからないです。
亀山社中の誕生
島津斉彬の時代から、薩摩藩は国防上の理由から洋式軍艦の必要性を感じていました。
洋式軍艦を自分たちで造船し、自分たちで操縦することを目指しました。
しかし軍艦操縦技術は、誰もが簡単に学べる技術ではありません。
しかるべき師につき、練習船での訓練も必要です。いわば「特殊技能」で、就職に有利なこと間違いなし!
神戸海軍操練所が廃止になった2カ月後(1865年5月ごろ)、薩摩藩は龍馬たちに出資し、亀山社中という商業活動組織(いわゆる「カンパニー」)を結成しました。
この組織は利潤追求のほか、薩摩藩と長州藩を和解させることにもなるのです。
雨漏りの美談 西郷隆盛の給与はどこへ?
1865年5月、西郷隆盛は坂本龍馬を連れて鹿児島へ戻りました。
西郷隆盛の家は、上之園の借家です。
小さな借家に、弟夫婦やその子供たち、下男の熊吉、居候兼執事の川口雪篷(せっぽう)らとともに、新婚間もない妻の糸さんが待っていました。糸さんも大変だったでしょう。
この時、ドラマに描かれた「雨漏りのエピソード」がありました。
家が粗末で雨漏りしていたため、糸さんは面目ないから雨漏りを直してくれるよう西郷に頼んだところ、西郷はこう答えたというのです。
「今は日本中が雨漏りをしている。わが家だけ直しているわけにはいかない」
隣の部屋でこの話を聞いた龍馬は、この話を聞いて感動し、さっそく雨漏りを直したのだとか。
でもよく考えたら不思議でたまりません。
京都であんなに活躍してた西郷隆盛の給与は、鹿児島には送られていなかったのでしょうか?
自分は(立場上とはいえ)そこそこ立派な衣服を着て、(接待上とはいえ)いいものを食べているのに、どうして鹿児島の家はこんなに貧乏なのでしょうか?
ろくに家に帰らないし、家にお金も入れてくれない。斉彬さまの「庭方役」だった時みたいに、全部活動資金にしていたのかな? 『西郷どん』の歴史交渉を担当している磯田道史先生に、『西郷家の家計簿』を書いてほしいです。
危うく須賀さんの二の舞になりかねない事態ですが、糸さんは、西郷隆盛という人の薩摩藩での立場や仕事などがある程度わかっており、理解があったのでしょう(私なら絶対けんかになってる)。
褌(ふんどし)で叱られた糸さん
もう1つ、司馬遼太郎さんの作品で読んだと思うのですが、この時糸さんは、西郷に叱られています。
その理由は、「古い褌を貸してほしい」と頼んだ竜馬の言葉通り、西郷の使い古した褌を渡したため。
そもそも、坂本龍馬は小松帯刀の家に主に滞在しており、その間に西郷隆盛の家を訪ねたのですが、その時下着の着替えを持ってきておらず(手ぶらでやってきた!)、汚れた褌を長い間着用していたのだとか。
それにしても、いくら当時「土佐脱藩浪士」の立場とは言え、実家はお金持ちだし、下着の替えくらい用意できなかったものでしょうか? これも不思議な話です。
とにかく(遠慮して)龍馬は、「古いのでいいから、褌を貸してください」と申し出て、糸さんも素直にそれに従っただけなのです。
なのに、その話を糸さんから聞いた西郷は、「あの人は、国のために命を捨てる人だというのに、それがわからなかったのか!(何という失礼なことを!)」と、糸さんを厳しくしかったのだとか。
慌てて糸さんは、新しい褌を龍馬に渡したようですが、本当に踏んだり蹴ったり。
龍馬も西郷も、本当に世話が焼けるというか、面倒な人たちです。
そういう人たちから褒められ(西郷はよく糸さんを褒めていたそうです)、尊敬された(龍馬は西郷夫婦を尊敬していたようです)糸さんが、どうやら一番すごいのかな。
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