ベルトラで行く台湾歴史スポット 烏山頭ダムで八田與一夫妻を偲ぶ

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2年前に行けなかった八田與一ゆかりの地へ

2年前、偶然『KANO~1931 海の向こうの甲子園~』を見る機会がありました。

日本統治下の台湾で、台湾公立嘉義農林高校が、第17回全国中等学校優勝野球大会(いわゆる「夏の甲子園」)に出場。初出場ながら準優勝するという、今年の金足農業フィーバーを連想させるストーリー。

その中で、野球とは全然関係ないけれど、嘉義農林の野球部員を励ます八田與一(はったよいち)さんという技師が登場し、ダムや用水路を作って皆から尊敬されていました。

司馬遼太郎さんの『台湾紀行』でも、八田與一や、プユマ族の嘉義農林野球部員・上松耕一選手夫妻と子供たちのことが紹介されていました。

2年前に嘉義を訪れた時は、嘉義農林すら行くことができませんでした。

今回やっとベルトラ現地ツアーで、八田與一ゆかりの烏山頭(うさんとう)ダムに行くことができます。

烏山頭ダムへは、高速を乗り継いで1時間弱。もっと山奥だと思っていたけれど、意外と近かったです。

八田與一記念館(紀念室)と旧放水口

烏山頭ダムは公園として整備されていますが、とても広大で、敷地内の移動は車がないと難しそうでした。

最初に案内されたのが、八田與一記念館。2001年に完成した、小さな建物です。

八田與一の業績を紹介する、日本語のビデオを見ました。日本人観光客らしき人たちの姿も。

そのあと、八田與一夫妻の写真や遺品などの展示を見学。

台南から嘉義にまたがる嘉南平野は広大な平野でしたが、灌漑設備が不十分で、常に田畑は干ばつの危機にさらされていました。上の写真は、日本では中世~江戸時代前期に使用された竜骨車ですが、まだこれが使われていたとは。

1886年、八田與一は石川県に生まれ、東京帝国大学工学部土木科を卒業した後、台湾総督府内務局土木課の技手として就職し、上下水道や発電・灌漑用水の工事に活躍。

ちなみに2004年、当時の李登輝総統は、訪日の際、八田與一の故郷・金沢も訪れたそうです。

当時の台湾はインフラ建設の真っただ中で、彼は高い評価を受けました。彼にとっては働き甲斐が感じられる、いい職場だったのでしょう。

31歳の時、当時16歳だった金沢の開業医の娘・米村外代樹(とよき)と結婚し、8人の子供にも恵まれました。

烏山頭ダム建設と嘉南平野の灌漑水路建設工事は、1920年から着工。

完成まで10年を擁する大工事で、妻の外代樹や子供たちも技師宿舎で生活し、夫を支えました。

完成したダムにより、灌漑水路が嘉南平野一帯に、16,000kmにわたって細かくはりめぐらされました。

この水利設備全体が、嘉南大圳(かなんたいしゅう)と呼ばれています。

太平洋戦争中の1942年、八田與一は陸軍の命令で、フィリピンの綿作灌漑調査のため、客船大洋丸で出航しますが、アメリカの潜水艦に撃沈され、56歳の生涯を閉じました。下は葬儀の時の写真です。

妻の外代樹も、日本敗戦後の1945年9月1日(ダム工事の起工25周年の日でした)、烏山頭ダム放水口で投身自殺を遂げました。享年45歳。

この放水口は、記念館の近くにありました。ダム放流の際、非常に激しい勢いで水が噴き出す場所です。

今は別の場所に、新放水口の施設が完成しましたが、今でも補助的な役目を果たしており、映画『KANO~1931 海の向こうの甲子園~』のロケも行われたようです。

旧放水口で、外代樹夫人の冥福を祈りました、

八田與一の銅像

次に車で向かったのは、八田與一の銅像と夫妻の墓。

昨年2017年4月、首が切断されたとニュースで知った時はショックでしたが、ちゃんと修復されていて、ほっとしました。でも立ち入り禁止のロープが張られていて、像に近づくことはできません。

烏山頭ダム完成の翌年、八田與一の周囲や現地の農民らが銅像を作りましたが、本人の意向を尊重して一般的な立像を諦め(「威圧的」と思われたそうです)、作業服を着て熟考する技師の姿で表現され、碑文や台座もありません。

国家総動員法に基づく金属供出で行方不明になり、戦後、駅の倉庫に放置されているのが発見されました。

しかし当時は、台湾から日本色を払拭することが叫ばれていた時代であったため、銅像は八田夫妻が工事中に住んでいた廃屋に隠され、1981年に元の場所に戻されました。

この場所は、ダムの中で一番高い場所らしく、八田與一夫妻がダムのきれいな景色を眺められるようにという配慮があるのでしょう。

うっかり見過ごしてしまいましたが、この門の奥がご夫妻の廟になっているようです。

銅像の近くには、ダム工事で活躍したベルギー製の蒸気機関車が、大切に保存されていました。

遥かに見えるダムは、「八田式セミ・ハイドロリックフィル工法によるダム」と呼ばれています。コンクリートをほとんど使用せず、粘土・砂・礫(れき)を使用しているため、ダム内に土砂が溜まりにくくなっているのだとか。環境にも優しそうですね。

この工法のダムは、アジアでは今もここだけ。雨が降っていなければ、少し歩いてみたかったです。

八田與一記念公園

烏山頭ダムから出て少し走ると、八田與一記念公園がありました。

「八田與一記念館」と紛らわしい名前ですが、こちらは2011年にオープンし、八田與一と所長や主任などの主要関係者が住んでいた4棟の日本式家屋が復元されています。

公園に向かう道に、「八田路」の表示もありました。

八田與一は、ダム建設に携わる人々が、安心していい仕事ができるようにと、自分も含め1,000名にもなるダム建設関係者住宅区を形成しました。学校や病院、共同浴場、映画館にテニスコートまであったとか。

この記念公園は、その住宅区の一部。家屋再現には、日本の職人も参加したそうです。

外代樹夫人の像です。記念館にも色違いの像がありました。

残念ながら、雨が降っているために、今日は家屋は公開できないとのこと。畳が雨に濡れたりするからかな。

こちらの展示館は、八田ご夫妻の愛情の記念という意味もあるとか。本当に固い夫婦の絆ですね。

烏山頭ダムは、地図で見ると無数の大枝や小枝を張ったサンゴのように見えるため、「珊瑚潭(さんごたん)」とも呼ばれています。

関空から高雄に着陸する前に、ちらりと窓から見えた湖は、珊瑚潭だったのかどうか。

ともあれ、あまり日本では知られていない八田與一ご夫妻のことが、このブログでもっと伝わればいいなと思いました。

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