『アイーダ』の舞台 古代エジプトのプタハ神殿とエチオピア 古代クシュ王国の謎

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2018年10月24日(水)、兵庫県立芸術文化センターで、オペラ『アイーダ』を見ることができました。

歌手はもちろん、オーケストラやバレエ、合唱なども素晴らしく、古代エジプトムード満点の、素晴らしいオペラでした。初めてアンドレア・バッティストーニさんの指揮を、実際に聞くこともできて感激!

エジプト考古学者が原案

このオペラは1871年、カイロのオペラ劇場で初演されました。

スエズ運河開通(1869年)祝賀事業の一環として、エジプトの総督・イスマーイール・パシャから、建設間もないオペラ劇場で上演するにふさわしい、エジプトを舞台にした作品をヴェルディが依頼され、作曲されたのが『アイーダ』です。

この物語の原案は、フランス人のエジプト考古学者であるオーギュスト・マリエットによって作成されました。

マリエットは、初演の舞台装置や衣装にも助言を与えたと言います。

プタハの神

そんなマリエットの原案だからか、一般的にエジプトの神としてよく知られる死者の神オシリスやその妻イシス、彼らの子ホルス、太陽の神ラーといった神々ではなく、プタハの神が登場します。

巫女の長が神殿で歌う、エキゾチックな祈りの歌が、とても印象的。

プタハの神っていったいどんな神なのかなと調べたら、メンフィスで信仰されていた創造神でした。

メンフィスは、ナイル川のデルタ地帯にあった古代都市です。現在はミート・ラヒーナ村となっています。

メンフィスは、上(かみ)エジプト(カイロ南部からアスワンまで)と、下(しも)エジプト(カイロ以北のナイルデルタ)が統一されたときに首都となり、プタハの神も、上下エジプト統一の神とも考えられていたようです。

古王国第4王朝時代(紀元前2,500年ごろ)には、ギザの三大ピラミッドが建設され、プタハ神殿の神官たちの影響力も増大したようです。

『アイーダ』って、この頃の時代を舞台にしているのでしょうか。

ギザの三大ピラミッドの1つ、カフラー王のピラミッドには、エチオピアの石が使われていると、ヘロドトスは記しているとか。

下は、2005年8月に訪れた、カフラー王のピラミッドです。化粧石が残っていて、美しいピラミッドでした。

この頃のエジプトは、ヌビア(アスワンからスーダン辺り)やシナイ半島とは戦っているけれど、エチオピアとは戦っていないみたいです。

現在のメンフィス

実は2005年8月に、このメンフィスを訪れていたのでした。

現在は、ミート・ラヒーナ村となっています。

立像が建つこの辺りが、プタハ神殿だったとか。

中王国時代の立像らしいですが、自己顕示欲の強い新王国第19王朝のラムセス2世の名前が上書きされていました。誰の像だったのかな?

美しいスフィンクスもありました。アラバスター(雪花石膏)製らしいです。『アイーダ』の舞台にもうっすらスフィンクスが登場しましたが(エジプト王女アムネリスの居間)、これをイメージしているのかな?

野外博物館には、ラムセス2世の像が横たわっていましたが、顔がとても美しい。

今からもう10年以上前の旅でした。『アイーダ』のストーリーやプタハの神のことを知っていたら、もっと真剣に写真を撮っていたのに。

今はどんな光景になっているでしょう。また訪れてみたいです。

エチオピアには美女が多い?

さて、アイーダの故郷であり、オペラではエジプトと戦うエチオピアですが、実は美人が多いとネットで評判らしいです。

オリンピックや世界陸上の選手たちが美人だった!という声もよく聞きます。

アイーダは「肌は暗く、赤みがかったオリーブ色」らしいので、今のエチオピア美人とそんなに変わらないと思います。

エチオピアは、イスラエルのソロモン王と才色兼備のシヴァの女王(イエメンもしくはエチオピア周辺を支配?)の間にできた子供が王国を建設したという伝承を持っています。

オーギュスト・マリエットも、エチオピアが美人の産地というイメージを持っていたのでしょうか。

古代クシュ王国の謎

そんなエチオピアですが、当時は国名ではなく、「肌の黒い人」を指す言葉だったのだとか。

現代のエチオピア地域ではなく、スーダン国内にあった古代クシュ王国(ナイル中流ヌビア地方)でした。

紀元前8~7世紀には、クシュ王国のナパタ王家がエジプトを征服し、第二十五王朝(エチオピア王朝)を打ち立てたのでした

今年(2019年)1月、偶然借りた『NHK「未来への遺産」取材記2 刻まれた情念』を読んでいて、その記述を見つけたのです。

昔、中学生のころこの番組を見てとても感動したのですが、その時は『アイーダ』のオペラを知らず、アイーダとクシュ王国が結びつきませんでした。

『ウィキペディア』で調べてみると、主人公アイーダの父でエチオピア王のアモナスロは、前3世紀のクシュ王(メロエ王家)アマニスロがモデルとなっているそうです。

ちなみにメロエには、エジプトのものとは少し違うピラミッドがいくつもあり(写真はウィキペディアより引用)、エジプト文明に影響を受けつつも、独自の文字や神を生み出したのだとか。

ナイル川はもちろん、紅海を利用して、ギリシアやインド、中国からの品々もこの国に送られてきたようです。

古代エジプト文明はテレビでよく紹介されていますが、スーダンの古代クシュ王国はほとんど知られていないのではないでしょうか。

2018年9月現在、外務省の海外安全情報にてスーダンは「レベル3:渡航中止勧告」と「レベル1:十分注意」が出されているそうですが、早く平和になって、砂漠の遺跡を訪れることができるようになってほしいです。

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