2018年2月25日(日)、熊本県玉名市から熊本市に移動する途中、西南戦争ゆかりの場所がたくさんあると聞き、タクシーで巡ることにしました。
ちなみに玉名市を訪れたのは、金栗四三のことを調べるためで、和水町も訪れました。
「熊本市」田原坂西南戦争資料館
田原坂(たばるざか)古戦場の広さや戦没者の数、今も残る弾痕の家に衝撃を受けた私たちが、最後に向かったのが、熊本市田原坂西南戦争資料館でした。
2015年11月、「近代日本の夜明けを学び伝える歴史学習施設」を基本コンセプトに新装オープンしたのだとか。
「熊本市」と最初に書かれているのにびっくり! ここ田原坂は、熊本市だったのですね(愚)。
資料館前の顔はめパネルは、政府軍の熊本鎮台司令長官・谷干城(たにたてき)と、薩摩軍西郷隆盛という、両軍首脳のツーショット!
パッと見た限りでは、2人とも同じような体格に見えますね。帽子と勲章で見分けるしかない!
熊本城炎上と熊本鎮台幹部
内部の様子です。西南戦争の勃発から、戦いの様子がわかりやすく紹介されていました。
在りし日の熊本城の写真。
やっぱり谷干城さんが、熊本城を焼失させたことが悔やまれます。
これが熊本鎮台の幹部。
前列(座っている)中央が谷干城司令長官、その右が薩摩出身の樺山資紀(かばやますけのり)参謀長です。
2人とも政府を批判しているとして、薩摩軍からは寝返りを期待されていましたが、2人とも政府軍の軍人として、薩摩軍と徹底抗戦する道を選びました。
兵士の服装と武器
両軍の軍服や武器も展示されていました。
これは薩摩軍。
下は政府軍(鎮台兵)の軍服。
大河ドラマで見るよりも、かなり質素な服装です。黒い軍服と思っていたけれど、濃紺のようです。
両軍ともわらじ履き。考えてみたら、まだ靴など貴重品だったのでした。
政府軍将校になると、こういう軍服なのでしょう。
武器の数々も展示されています。
上の写真は左から軍隊手帳、水筒、望遠鏡(単眼鏡)、奥の黒いものは、弾薬を入れておくポーチです。
映像・音・振動・ジオラマで戦いの様子をリアルに再現した体感展示もあり、戦争の迫力が伝わってきました。
熊本鎮台を死守した谷干城
ここが熊本市であるせいか(?)、西郷隆盛よりも目立っていたのが、熊本鎮台司令長官の谷干城。
錦絵にもかっこよく描かれています(中央)。
熊本城には、谷干城の銅像もあるそうです。今回は、熊本城に行くことができなかったので、彼の銅像に会うのはまた今度。
谷干城の書も展示されていました。
もちろん、西郷隆盛とその同志たちの紹介もあります。
抜刀戦の恐ろしさ
これは、出口近くにあった恐怖の展示品。日本刀の威力が紹介されていたのです。
警視庁抜刀隊と思われる人骨だそうです。全身9カ所の傷があるとか(怖)。
いくら武器弾薬が豊富にあると言っても、農民町人出身者の多い鎮台兵たちが、白兵戦を挑む薩摩軍を恐れていたという気持ちは、よくわかります。
この地が日本赤十字社発祥の地となったことも、紹介されていました。平和が何よりですね。
出口には、かわいらしい塗り絵の数々。
西南戦争で活躍した人々が塗り絵になっていて、子供たちの作品が展示されていたのです。
個人的には、藤田五郎こと新選組三番隊組長斎藤一さんが紹介されていて、ちょっと嬉しかったりしました。
コメントを残す