2017年4月2日(日)、島津家別邸・仙厳園(せんがんえん)と隣接する尚古集成館を訪ねました。
仙厳園は広いし、見どころも多いし、1日あっても足りないくらいでした。
薩摩の特産品
仙厳園には、たくさんのショップがあります。
猫神神社の近くにある猫グッズの店、紙ふうせんは前回紹介しましたが(下)、
外国人観光客の注目度が高いのは、薩摩切子(さつまきりこ)の店。鹿児島の名産品ですね。
薩摩切子とは、幕末から明治初期に薩摩藩が製造したガラス細工(カットグラス)のこと。
とても心惹かれたのですが、ちょっと持ち運びが不安だったし、懐具合も不安だったので、今回はパス。
桜島と積極的に付き合おう
売り物ではありませんが、園内でちょっと気になった鹿児島独自?のものがありました。
この黄色い「克灰袋」。桜島の火山活動による降灰を各家庭で集め、回収してもらうための専用の袋です。
降灰の予想される地域の家庭へ、4~5月に事前配布されるそうです。
以前は「降灰袋」という名称でしたが、1991年から、受動的でなく積極的に降灰を克服し、降灰に強い快適な都市づくりを目指すため、「克灰袋」に変更したとか。
現在鹿児島市内には、約6,200箇所の克灰袋の指定置き場があり、回収された袋は、鹿児島市内3箇所の土捨て場に運ばれます。
桜島と付き合っていく、鹿児島市民の心意気を感じました。
旧集成館機械工場
仙厳園の見学を終えた私たちが次に向かったのが、尚古集成館。
ここも世界文化遺産に登録されています。
現在、島津家800年の歴史や文化を紹介する博物館「尚古集成館」となっている建物は、1865(慶応元)年に竣工した、日本最古の石造洋式機械工場「旧集成館機械工場」です。
島津斉彬の死後、一時沈滞期を迎えた集成館事業ですが、薩英戦争の後、すぐに機械工場が造られ、オランダからもたらされた機械を使って、様々な機械類の部品加工、補修などを行っていました。
金属加工や船舶装備品など、様々な部品がこの工場から生み出されていったのです。
建物は、当時最新式だった西洋式の長崎造船所を参考に、薩摩の技術者たちによって築造されました。
厚さ60cmの石壁に強固な梁が組まれ、当時はトタン屋根だったようです。
紡績百年の碑
1865(慶応元)年、薩摩藩留学生とともにイギリスに派遣された新納刑部(にいろぎょうぶ)・五代友厚(ごだいともあつ)は紡績機械を輸入し、 1867(慶応3)年5月に、日本初となる近代的紡績工場「鹿児島紡績所」が誕生しました。
現在のユニチカの源流にあたります。
往年の女子バレーボールの強豪・ニチボー貝塚などで知られる「ニチボー」は、ユニチカの前身でした。
鹿児島紡績所誕生100周年を記念して、日本紡績協会がこの碑を建てたようですが、この時にはニチボーの名前が亡くなるということは、誰も考えもしなかったでしょう。
尚古集成館
「旧集成館機械工場」の内部は、現在、島津家の歴史・文化と集成館事業を語り継ぐ博物館「尚古集成館」となっています。
博物館なので、内部の撮影はできませんでした。
館内の説明は、こちらをご覧ください。
薩摩と琉球王国とのかかわり、薩摩の近代化、反射炉や機械工場についての展示など、なかなか面白かったです。
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