ワルシャワからクラクフへ 列車の旅
2019年4月29日(月)の夜、ワルシャワ観光を終えた私たちは、列車でクラクフに向かいます。
ワルシャワ中央駅から列車に乗りました。乗った列車は国際列車です。
クラクフ到着は、22:19。3時間弱です。事前にネットで予約購入して84zl。
車内では偶然、金沢から来られた父子2人と座席が向かい合わせになり、楽しくお話ししながらクラクフまで行くことができました。ルフトハンザでロストバゲージに遭ったと聞いてびっくりです。
クラクフの宿は、メルキュールクラクフスタレミャスト。1泊1部屋で14,663円でした。
駅前でわかりやすく、迷わずたどり着けました。
客室内のごみ箱。分別の意識が高い! でも、どこに何を入れていいかわかりませんでした。これでよかったかな?
客室やロビーに時計がなかったのは、ワルシャワのホテルと同じでした。
クラクフは早朝しか観光できない!
2019年4月30日(火)のクラクフは雨。気温は11度。4月末とは思えない寒さです。
夕方訪れるスロバキアの首都・ブラチスラヴァも、天気予報によると14度くらい。
この時期はまだまだヨーロッパは寒いのかな。
本来なら、もう少し温かくなったり雨が上がるのを待ったりして、観光をスタートさせるのですが、私たちは当初の予定だった寝台車が取れず、昼間の列車でブラチスラヴァへ移動する必要があり、10:25の列車に乗らねばなりません。
その間に、クラクフを大急ぎで観光することになりました。
今朝も早朝から、ガイドブックとmaps.meがフル稼働です。
ポーランドが偉大だったころ
クラクフのおもな見どころは、旧市街にあります。
クラクフはポーランドで最も歴史ある都市の一つで、1596年に都がワルシャワに移るまで、約550年間にわたってポーランドの首都でした。
日本でいえば、京都のような古都ですね。人口は、ポーランドで第3位。なかなかの大都会です。
歴史的な建造物が並ぶ、旧市街の情緒ある街並みは、「クラクフ歴史地区」として、世界遺産に登録されています。なんと、世界遺産登録第1号なんですね。
この街は、昔は城壁に囲まれていた城塞都市だったのですが、やがて城壁は取り壊され、現在は旧市街の北のゲートにあたるフロリアンスカ門と、その周辺の壁、3つの塔、そしてバルバカンだけが残されました。
ホテルからバルバカンまでは、徒歩6分ほどでした。
途中に見えてきたのが、1410年のグルンヴァルトの戦い(別名タンネンベルクの戦い)の記念碑。
ポーランド・リトアニア連合軍が、ドイツ騎士団に勝利した戦争です。騎馬像は当時のポーランド国王ヴワディスワフ2世。元々はリトアニア大公ヨガイラとして誕生し、ポーランド女王ヤドヴィガと結婚するとカトリックに改宗し、ヴワディスワフ2世としてポーランドも支配した人物。
ポーランドの国力が盛んだったころですね。
世界最大のバルバカンと、フロリアンスカ門
やがて大きな建物が見えてきました。これがバルバカンです。
バルバカンというのは、円形の砦。
ワルシャワにもありましたが、クラクフのバルバカンは世界最大規模なのだとか。
どっしりとしていて迫力ありますね! 1498年に建てられたそうです。
こちらがバルバカンの門。
上の写真を見ると、ワルシャワのバルバカンと構造は似ているなと思いました。10:30から、城壁の上にも上れるそうです(有料)。
そして、このバルバカンに守られているのが、旧市街北の入り口であるフロリアンスカ門。
フロリアンスカというのは、3世紀末に現在のドイツ・バイエルン東部で活躍した軍人で、キリスト教の信仰を捨てなかったため殉教したカトリックの聖人。
火事から街を守るとされ、中央ヨーロッパで盛んに信仰されたそうです。上の写真で、大きな赤い旗を掲げている人物が聖フロリアンスカ。
1300年ごろに、この門は造られました。思ったより小さかったですが、白くてかわいい門でした。
モンゴル軍の記憶 聖マリア教会の「ヘイナウ・マリアツキ」
クラクフで一番私たちが体験したかったのが、聖マリア教会の時報を聞くこと。
以前テレビで紹介されていて、この時報にとても興味を持ったのです。
時報は鐘ではなく、ラッパ。しかもメロディーが途中で途切れています。教会の塔の上から吹き鳴らされる時報の曲が、「ヘイナウ・マルアツキ」。クラクフを象徴する音です。
中世(13世紀)、モンゴル軍がクラクフを襲撃した際(ここまで来たんですね!)、クラクフのラッパ吹きが命懸けでラッパを吹き、人々に急を知らせました。
しかし彼は、モンゴル兵にのどを射抜かれ絶命。そのため吹いていた曲も、途中で終わってしまいました。
そのことを忘れないため、毎時、聖マリア教会の塔の上から、南西北東(南の王宮に向かってまず吹く)の順に同じメロディーを吹きます。絶命したラッパ吹きが演奏を止めたところで、いつもラッパは終わります。
途中で突然終わるメロディーは、モンゴル軍の恐ろしさと、それに立ち向かったクラクフの人々の気持ちを表しているようでした。このメロディーは、ラジオの正午の時報にも使われているのだとか。
まさに「クラクフのシンボル(象徴)」。
現代では、地元消防隊の隊員が、24時間勤務2交代制で、ラッパを吹いているそうです。
ちなみに11:30から、教会内部の拝観も始まるようです(有料)が、列車の時間に全然間に合わないので、ここも断念。
中央広場
聖マリア教会があるのは、中央広場という旧市街の中心部。
ここもワルシャワと同様、まるで中世のドイツみたいだなと思いました。
この立派な建物は、織物会館(織物取引所)。長さ100mの建物で、1階は土産物屋、2階はクラクフ国立美術館になっていました。
他にも美しい、歴史的な建物がいっぱい!
第二次世界大戦で、クラクフもナチスドイツの侵攻を受けましたが、他の都市のように壊滅的な破壊を受けることはありませんでした。
この中央広場は、中世からそのまま残っている広場としては、ヨーロッパ最古だそうです。
ポーランドの国民的詩人、アダム・ミツキェヴィチの像。
旧市庁舎の塔(上)。ここも時間がなくて登れなかったのが、少し残念でした。
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