ドイツルネッサンス花開いたアウグスブルク 市庁舎の美しさにため息

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2019年5月3日(金)午後、ミュンヘンからアウグスブルクへ、半日という短い時間でしたが移動して、市庁舎などを見学しました。

バイエルンチケットのありがたさ

私たちはこの日、ザルツブルクからミュンヘンに列車で移動したのですが、ザルツブルクで「バイエルンチケット」というものを購入し、それを使って移動しました。

ホテルマルクスシティックス・ザルツブルク&ザルツブルク中央駅利用体験記

2019年6月30日

バイエルンチケットはドイツのバイエルン地方及び、隣国のドイツ近隣都市の一部の交通機関の乗り物が1日乗り放題になるフリーパスチケットです。9:00~翌朝3:00まで利用可能。

このバイエルンチケットの素晴らしい所は、1人用のチケットもそれなりに安いのですが(25ユーロ)、プラス6ユーロ(2等席の場合)するだけで、2人目以降の乗車人数を追加できる点。

ザルツブルクもアウグスブルクも、このバイエルンチケットの利用可能地域のため、3人で37ユーロという破格の値段で、ザルツブルクからアウグスブルクまで移動し、またミュンヘンに戻ってこれるというわけです。

特急列車には乗れませんが、それでもミュンヘンからアウグスブルクまで50分くらい。

50分なら、特急でなくても全然問題ないなと思えます。

アウグスブルク市の創設者を見落とした!

アウグスブルクに来た目的は、市庁舎の黄金ホールを見るためでした。

駅から中心部までは、市電を利用してもいいのですが、私たちは歩きました。

街並みの美しさは、ミュンヘンに負けていません。

アウグスブルクは、あのローマ帝国の初代皇帝であるアウグストゥスが、紀元前15年に築いた城に由来する街。ドイツで最も古い街です。

市の紋章が刻まれたマンホール。様式化されたマツカサであるツィベルヌスがモティーフになっています。ツィベルヌスは、ローマ軍団の軍団識別標識。ローマ皇帝由来の街らしい紋章ですね。

市庁舎前には、「アウグストゥスの泉」という噴水もあったのですが、私たちが訪れた時は市庁舎前広場でコンサートが行われており、その人だかりに目を奪われて、アウグストゥスの存在に全く気が付きませんでした。

上の写真の右側(バスの右)に、偶然映っているのがアウグストゥスの像。

街の創設者に、とても失礼なことをしてしまいました。

帝国自由都市アウグスブルク

アウグストゥスを見落としたことすら気付いていない私たちは、別のものが気になっていました。

それが、市庁舎のファサード上部にある、双頭の鷲のマーク。

これは中世の「神聖ローマ帝国」時代、自由都市であったことを示すものでした。皇帝直属の都市として一定の自治権が与えられ、貢納や軍役などの義務からも解放され、大司教などの地方領主の支配から自立していたのです。

15世紀から16世紀にかけて、この街ではフッガー家やヴェルザー家といった豪商や金融を営む富豪が台頭し、莫大な富を築き上げたほか、街自体も金融都市として繁栄しました。

彼らの支援はまた芸術家たちにも及び、その結果としてドイツ・ルネサンスが開花しました。

その最高傑作がこの市庁舎です。この建物は、アルプスの北側で最も重要な世俗ルネサンス建築と賞賛されているのだとか。

チケット売り場のある1階です。

チケットを購入して、4階にある黄金のホールへ。

一歩入ると、あまりの豪華さに息をのみます。

黄金に輝く天井がすごすぎる!

金色の装飾だけでなく、フレスコ画も美しいですね。

街の誇りが伝わってくるようです。

窓からの眺めも良かったです。クリスマスマーケットの時期は、また一段と美しいようですね。

姉妹都市から愛をこめて

さて、私たちがアウグスブルクに行きたかったもう一つの理由。それは、私たちの住む兵庫県尼崎市と姉妹都市だからです。

世界史の授業で、名前が何度も出てくる有名な街アウグスブルク。

かたや最近(2019年3月)お城が復興されたとはいえ、ここまできらびやかな歴史的文化財など持っていない我が尼崎。

姉妹都市の紹介などしてくれるかな、と思っていたら、4階に姉妹都市コーナーが!

尼崎と、同じく姉妹都市の滋賀県長浜市の紹介もしてくれていました。

アウグスブルクでディーゼルエンジンを開発したルドルフ・ディーゼル(1913年に自殺)に興味を持ったヤンマーディーゼル創業者・山岡孫吉氏が、アウグスブルクをたびたび訪れ、彼の力で1959年、自らの工場がある尼崎及び長浜とアウグスブルクを、姉妹都市にしたのだとか。

それにしてもこの写真は、1959年(昭和34年)頃に撮影されたものなのかな?

時代を感じました。ちなみに60周年を迎えた今も、両市の交流は続いています。

上の写真は、私たちが帰国した後(5月10日)、アウグスブルク市庁舎の黄金のホールで、姉妹都市提携60周年記念式典の合同コンサートを行った両市の高校生たちです。

街の繁栄を支えたフッガー家

さて、この素晴らしい市庁舎に象徴される豊かな街・アウグスブルクを支えた富豪がフッガー家。

鉱山業や金融業を営み、その経済力でカトリック教会を支え、宗教改革のころはヨーロッパでもっとも繁栄した一族と言われていたようです。

その大富豪が、経済的に困窮したアウグスブルク市民のために建設したのが、「フッゲライ」。

世界最初の社会主義住宅です。

1521年に設立されたというから、日本では、(定説では)斎藤道三が美濃の国盗りを少しずつやり始めた頃でしょうか。織田信長は、まだ生まれていません。

今でもわずかな年間家賃(0.88ユーロ!)で、ここに140戸が入居しているのだとか。

有料だったので中には入りませんでしたが、フッガー家の懐の深さを知ることができました。

パンフレットのイラストで、その全体図が少しはイメージしていただけるでしょうか。

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