2019年8月31日、440年続く老舗・山ばな平八茶屋で、ちょっとぜいたくなランチを頂いた私たちは、次に修学院離宮を当日参観で訪れました。
下離宮の見学を終えた私たちは、次に中離宮に案内されました。
中離宮(中御茶屋)
ここは厳密にいうと、最初から修学院離宮だったわけではありません。
離宮はもともと、下御所と上御所で構成されていました。
中御所の辺りには、後水尾天皇の第8皇女・光子(てるこ)内親王(母は女官)のための御所があり、上皇が亡くなると内親王は出家して、御所も林丘寺(りんきゅうじ)になりました。
林丘寺は、皇族・公家の女性が住職を務める格の高い寺院(比丘尼御所)となりましたが、明治になり、1885年に境内の半分が宮内庁に返還されて離宮に編入されました。
庭には、小さいけれど池もありました。
光子内親王のための最初の建物・楽只軒(らくしけん)。部屋に掲げられた扁額「楽只軒」は、後水尾上皇筆です。奥の部屋は「二の間」で、龍田川の紅葉が描かれています。
こちらは「一の間」で、吉野山の桜が描かれています。
その楽只軒と階段でつながれた客殿。少し高い場所にあります。
光子内親王は後水尾天皇の中宮・東福門院和子(徳川秀忠の娘)の養女になっており、和子の死後、女院御所の建物がここに移築されました。
互い違いに配された大小の棚板が、霞がたなびいているように見えることから、「霞棚」と呼ばれている飾り棚。女性らしい、華やかな部屋です。
鯉の絵は作者不明ですが、網はあの写生画の大家・円山応挙だそうです。
祇園祭の鉾も描かれていました。
上離宮(上御茶屋)
中離宮から上り坂の松並木を歩き、疲れたころに上離宮に到着しました。
杮葺(こけらぶき)の御成(おなり)門。正面ではなく、左脇の目立たない入り口から入ります。
暑いし(暑さ対策必要!)上り坂を歩いていい加減疲れているのに、ここでまた急な、カーブしている石段を上ることになりました。
何が待ち構えているかわからないという、奇抜な趣向だそうです。
やっと上ったところに待っていたのが、隣雲亭(りんうんてい)。
室内はとてもシンプル。床の間も飾り棚も、襖絵などもありません。
唯一の飾りは、軒下の三和土(たたき)。土間の床に使われる素材ですが、漆喰に小石を三つ埋め込み、「一二三石(ひふみいし)」と呼ばれています。
そのかわり、高台からの眺めは最高! これが何よりのご褒美ですね。海抜150mです。
私たちも、ここで一休み。京都御所や京都タワー、下鴨神社などがよく見えます。
眼下に広がるのが、谷川をせき止めて作った浴龍池(よくりゅうち)。
降りていくと、瀧もちゃんとありました。
離宮の中には、山も瀧も、川も池も田畑もあって、京都の自然が凝縮されているようです。
この建物は、創建当時の建物で唯一現存する茶屋・窮邃亭(きゅうすいてい)。
屋根の上の宝珠が面白いです。
「窮邃」の扁額も、後水尾上皇筆。
ここも室内はシンプルだけれど、眺めが最高! 風通しも良さそうです。
池の島々を巡りながら、御舟遊びが行われていたのだとか。
この少し変わった橋は、千歳橋(ちとせばし)。最初からここにあった橋ではなく、改修の時に寄進されたそうです。中国風かな。
上りは辛かった松並木も、帰りは下りなので比較的楽に歩くことができました。
もうすぐ稲刈りの時期でしょうか。
ガイドツアーで説明してくださった女性の話によると、6月から9月頃までは、暑くてあまりいい時期じゃないそうで、やはり紅葉の頃が見ごろなのだとか。
その頃はすごい人で、当日参観の定員枠に潜り込むのが大変そうですが、また別の季節の修学院離宮の風景も見てみたいなと思いました。
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