京都まちなか寺社巡り(後編)  日本三大えびすの1つ・京都ゑびす神社から宮川町へ  

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京都ゑびす神社と臨済宗の開祖・栄西

2023年12月14日(木)、京都市下京区(六条通河原町西入ル)の市比賣(いちひめ)神社から、五条大橋を渡って東山区に入り、偶然見つけた建仁寺の塔頭・禅居庵で勝利開運をもたらす秘仏・摩利支天を参拝した私たち。

京都まちなか寺社巡り(前編)  市比賣神社から建仁寺禅居庵へ  摩利支天に初参拝!

2023年12月27日

禅居庵のすぐ向かいに、京都ゑびす神社がありました。

私は後で知ったのですが、西宮神社(兵庫)、今宮戎神社(大阪)と並んで、「日本三大えびす」に数えられているのだとか。

日本の臨済宗の開祖・栄西が1191年に留学していた南宋(中国)から帰国する際、ゑびす(恵比寿)神が暴風雨から守ってくれたそう。帰国した栄西が建仁寺を建立するにあたり、恵比寿神を鎮守社としてこの社を創建しました。建仁寺の守護神だったのです!

二の鳥居には、神社名の扁額のかわりに恵比寿神の顔がついた福箕(ふくみ)があり、お賽銭をここに投げ入れて、見事に入ると願いが叶うそうです。網や熊手もあって、お賽銭が入りやすい配慮が嬉しいですね。

恵比寿神といえば、商売繁盛。他にも家運隆昌や旅行安全のご利益があるとか。栄西を海難から守ったから、確かに旅行安全や海難除けに効果ありそう。

恵比寿神は耳が遠いらしく、正面からだけでは柏手(かしわで)を打ったり本坪鈴(ほんつぼすず)を鳴らしても聞こえない場合があるため、左奥の壁を優しく叩いてもう一度お参りするといいそうです。私たちもこの壁をトントンしました。どうか恵比寿神のお耳に届きますように。

小松天満宮にもご挨拶 白太夫とは誰?

その後、境内にたくさんある末社にも参拝しました。

こちらの鳥居がある一画は小松天満宮。なぜ京都ゑびす神社境内に天満宮があるのかとても謎なのですが、調べたところ、この天満宮の祭神は、学問の神になる前の菅原道真。

無実の罪で大宰府に流されたことを怒り悲しみ、道真は無実を天に訴えるため、身の潔白を祭文に書き、七日七夜、天拝山(福岡県筑紫野市)山頂の岩の上で爪先立って、祭文を読み上げ天に祈り続けました。この荒行をしていた時の姿の道真を小松天満宮では祀っています。恐ろしい憤怒の姿で無実の罪に泣く人を助け、家出した人を帰宅させたり、大切な人との縁を固めるという御利益もあるとか。

天満宮(右)に隣接する「白太夫社(しらだゆうしゃ)」。

朝食前に参拝した錦天満宮にもあり(上の写真中央)、変わった名前なので少し気になり調べたところ、道真の養育係だった伊勢外宮の神官・渡会春彦(わたらいのはるひこ)を祭神とする神社でした。春彦は若い頃から頭髪が真っ白で、「白太夫」と呼ばれていたらしいです。天満宮のあるところ白太夫社もあることが多いというのは、初めて知りました。今度から各地の天満宮に行ったとき、注意して見ておかねば。

末社というわけではないですが、境内には名刺塚や財布塚もあり、あのパナソニックの創業者・松下幸之助も玉垣を寄進していてびっくり! 「経営の神様」と異名を取った松下幸之助も、京都ゑびす神社を信仰していたのですね。ご利益は確かなようです。

御朱印(300円)も頂くことができました。

しっとりした花街の町並み・宮川町

京都ゑびす神社からほど近いところに、京都花街の1つ、宮川町はありました。

落ち着いたしっとりした町並みです。

石畳がとても美しい。提灯に描かれているのは宮川町の紋章です。

歌舞音曲の春の発表の場が、「京おどり」。2024年は4月6日(土)~4月21日(日)です。宮川町歌舞練場が老朽化のため、会場は京都芸術大学内の春秋座。

京都らしい風情のある小路があり、夫は大喜び。

お茶屋さんも発見! お座敷をしつらえて芸舞妓さんを呼び、お客に飲食を提供(料理は仕出し屋から取り寄せる)するのがお茶屋です。NHK朝ドラ『らんまん』ヒロインのモデル・牧野壽衛(すえ)が渋谷で経営していた「待合」も同じ仕組みの店。

現在宮川町には、組合所属のお茶屋さんが28軒あるとか。なかなか敷居が高そうだけど(第一畳の上で座れない)、いつか芸舞妓さんの踊りや座敷遊びを近くで見てみたいものです。

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