ウズベキスタン紀行13 サマルカンドの「支配者たちの墓」グリ・アミール廟 

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2019年8月12日(月)サマルカンド2日目。

この日は早朝から、シャーヒズィンダ廟群やビビハニム・モスクを見学しました。

ウズベキスタン紀行12 圧巻!シャーヒズィンダ廟群とビビハニム・モスク 

2019.11.27

グリ・アミール廟

サマルカンドの日中は暑く、朝食前にかなり歩き回ったこともあり、朝食が済むとホテルで休息(じっとしているのであまりお腹もすかず、結果的に昼食代が節約できます)。

でもさすがに、早朝見逃したグリ・アミール廟やレギスタン広場は行きたいので、まずはグリ・アミール廟を訪れました。

シャーヒズィンダ廟群やビビハニム・モスクとは方向が違いますが、ホテルからは比較的近い場所にありました。

「グリ・アミール」とは、ペルシア語で「支配者の墓」という意味。

ティムール帝国を築いたティムール(1405年没)と、その子や孫達の眠る霊廟です。

入場料は1人25,000スム。ビビハニム・モスクと同じですが(シャーヒズィンダ廟群は、1人19,000スム)、ここではカメラ撮影料としてさらに10,000スム支払いました。

ここも巨大建築なので、なかなかカメラにうまく収まってくれません。特に人物を入れて撮影するのが難しい。

グリ・アミール廟があったからこそ、あのタージ・マハル廟もできたのだとか。「元祖・美しすぎる霊廟」だったのかな。

私たちが訪れた時はとても暑かったので、敷地内に出ていた屋台でペットボトル(小)の水を購入したら、1本3,000スムでした。スーパーだったらペットボトル(大)で4,000スムです。

やはり水は、事前に用意しておくべきと思いました。

グリ・アミール廟内部

驚いたのは、内部が黄金色に輝いていたこと。

シャーヒズィンダ廟群内部は青や白が多かったのに、ここはやはり「王の墓」だからか豪華です。

修復では、3kgもの金が使用されたとか。

金と青が、神秘的な美しさを生み出しています。

床にずらりと並んでいる墓石は、地下室にある墓の位置を示しているだけで、実際のお墓ではないようです。確か一番左手前が、ウルグベクの墓石だったような。

ブハラの「ウルグベク・メドレセ」を建設した人物です。

ウズベキスタン紀行7 ブハラのタキ・バザールと美しいイスラム建築の数々を見学

2019.11.24

優れた天文学者・数学者でもあったティムール朝第4代君主で、10万スム紙幣にも描かれている名君。

紙幣の裏に描かれているのは、今回訪れることができなかったウルグベク天文台。驚くべき正確さを誇る天体観測を行い、1年を365日6時間10分8秒と推測しました。現在の暦と比べ、誤差は1分にも満たないとか。

一際目立つティムールの墓石は、黒緑色のネフライト(軟玉)という石。

この墓石を安置したのは、孫のウルグベクでした。

ティムールの呪い?

ティムールの墓は、過去2回盗掘被害に遭っています。

最初は、トルコ~イラン~中央アジア~インドまでを一時支配した、アフシャール朝初代君主のナーディル・シャーによる盗掘。

ティムールの心酔者であった彼は、石棺を持ち出そうとしました。

ナーディル・シャーは、300年前に生きたティムールの武勇伝を模倣しようとしたのですが、それは残虐な統治となり、彼は暗殺されて帝国も分裂してしまいました。

2回目は、1941年6月19日、ソ連の考古学者が地下室の墓を発見し、ティムールやその子孫達の遺骨を調査したのです。

この調査で、ティムールは伝説通り左足が(左手も)不自由だったことや、ウルグベクが斬首されたことも分かりました。

でも、棺の蓋が開けられた数分後に、独ソ不可侵条約を結んでいたドイツがソ連に攻撃を開始。独ソ戦が始まったのです。

ソ連に甚大な被害をもたらした独ソ戦が、ティムールの呪いかどうかはさておき、ティムールとウルグベクの頭蓋骨は、スターリングラードの戦いが始まった1942年11月、完全なイスラム教の形式に則って、再埋葬されました。

宗教を抑圧していたソ連らしくないですが、ティムールの呪いを恐れたのかもしれませんね。

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