明智光秀を推したのは丹波の人たち?
「NHK大河ドラマの主人公になる人物は、どうやって決まるのだろう?」と思うことが、時々あります。
多分地元の人たちの熱意と、地域&時代のバランス、時の情勢などを判断して、NHKが決めるのかな?と思うのですが。
2020年度のNHK大河ドラマ『麒麟がくる』では、面白い話を聞きました。
明智光秀ゆかりの地である丹波地方の人たちが中心になって、誘致運動をしたのが、選ばれた理由ではないかというのです。
明智光秀というと、岐阜や滋賀ゆかりの武将というイメージが強いですが、実は丹波にもとてもゆかりのある武将。
光秀が丹波に侵攻し、この地を支配したのです。丹波攻めは彼にとって、なかなか大変でした。
もし、コロナ禍や「働き方改革」がなかった従来通りの大河ドラマ放映スケジュールなら、丹波攻めはもっともっと詳しく描かれていたかもしれません。
福知山城はお城祭り!
2019年4月13日(土)、福知山城など、明智光秀関係の場所を見たくて福知山を訪れました。
この日から翌日にかけて、福知山お城祭りが開催されているとのこと。
天気も良く、駅前からもお城がよく見えます! 天守は復元されたものですが、外形はほぼ正しい姿で再建されているそうです。
明智光秀ゆかりの城のうち、天守が見られるのは、この福知山城だけなのです。光秀ファンなら行くしかない!
現在見られる城の縄張り(設計)は、明智光秀によって行われました。
彼は1579(天正7)年頃、丹波攻めのためにこの城を築き、娘婿の明智秀満に城を任せました。
今日からお城祭りのため、城に入るとイベントもあってとても華やかな雰囲気。
こちらは忍者体験です。この石垣は、光秀時代かな? 野面(のずら)積みという、自然石をそのまま積み上げる方法です。
『忍たま乱太郎』作者の尼子騒兵衛先生描く、明智光秀と煕子夫妻もいてびっくり! 愛妻家らしい光秀です。
福知山城の見どころ
まず目についたのが、銅門(あかがねもん)番所。
こちらは二の丸の登城口にありました。何度か移築されましたが、唯一当時の面影を伝える建物です。
とても大きなこの井戸は、豊盤(とよいわい)の井。
直径2.5m、深さは50mを超えるなど、城郭内部の井戸としては日本有数の深さなのだとか。
今も清らかな水をたたえているようです(見えないけど)。水は城の生命線ですね!
そして石垣! 光秀は丹波攻めの際、自分に味方しなかった寺院を破壊し、五輪塔や宝篋印塔(要するに墓石や供養塔)を城の石垣として転用したのです。
信長と通じるものがありますね! 敵対するものには、容赦しないようです。そのかわり、部下や降参した国衆(くにしゅう 地方の有力武士)にはとても優しかった様子が書状から伝わってきます。
前回の大河ドラマ『麒麟がくる』「月にのぼる者」でも、そのようなシーンがありましたね。
転用石が紹介されていました。これは石仏かな?
鯱瓦もありました!
この神社は「朝暉神社」(あさひじんじゃ)。
明治になるまで13代200年間、福知山城主は朽木(くつき)氏が務めましたが、初代城主の朽木稙昌(くつきたねまさ)が父・稙綱(たねつな)を藩祖として城中に祀ったのがこの神社。
この「鉄砲石」は、鉄砲の名手・牧重郎左衛門の技量を後世に伝えるため、朽木氏の1代前の城主・松平忠房が建てた記念碑です。
福知山城天守閣
1873(明治6)年の廃城令により解体された福知山城の大天守と小天守は、戦後市民の寄付を募って再建されました。
2017年には、日本城郭協会が認定する「続日本100名城」に選定されています。
残念ながら、郷土資料館になっている内部は撮影禁止。
明智光秀や明智秀満関係の展示が充実していました。
天守閣からの眺望。
福知山城とその周囲の地形が、よくわかります。
由良川の洪水を防ぐため、光秀は「明智藪」を築くなど治水事業を行い、地子銭(土地にかかる税)免除で城下町の発展を図るなど、善政を敷きました。
そのため「侵略者」として丹波に入ってきた光秀が、人々に長く慕われ、大河ドラマにもなったのです。
丹波での光秀は、大河ドラマではどのように描かれるのでしょうか? これからも目が離せませんね。
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