前田利家と羽柴秀吉の邸宅が守る城への道
2010年3年、織田信長の史跡を訪ねて滋賀県の安土を訪れました。
観音正寺、滋賀県立安土城考古博物館、安土城天主 信長の館を訪れた後は、安土城跡まで歩きます。
あの山が安土山です。まずあの山の麓を目指しましょう。
やっと到着!立派な石碑がお出迎えです。
この辺りには、前田利家や羽柴秀吉の邸宅がありました。
羽柴秀吉の邸宅はなかなか立派。屋敷など建築物も多かったようですね。
下は前田利家邸。
向かいの羽柴秀吉邸と共に、これから進む安土城の大手道正面を守った邸です。この2人が特に、信長の信任厚かったのでしょうか?
解説にある枡形(ますがた)というのは四角い広場のことですが、城郭用語では虎口(こぐち)という「城の入り口」(前田利家邸の場合は邸宅への入り口)を守るための防御施設。
敵が侵入したら、この四角い枡形広場に閉じ込めて、四方八方から攻撃して殲滅してしまう恐ろしい場所でした。
上の写真がその虎口周辺です。
それにしても安土城跡では、ついに明智光秀邸を見かけることはありませんでした。
柴田勝家や丹羽長秀など、他にも邸宅が見つかっていない武将もいるから、「信長との間に溝があった」とは思いたくないのですが。
この山の中の、どこかに彼の邸宅跡は眠っているのでしょうか?
信長正室・帰蝶さまも疲れた?安土城の急な石段はこれだ!
ここから続く一直線の山道は、大手道と呼ばれていました。
道幅は6m。約180mも一直線の道が続きます。広い道だけれど、階段が急で歩きにくい。
NHK大河ドラマ『麒麟がくる』で、信長の正室・帰蝶さまが「ここの石段は急すぎる。私はもう疲れた」と嘆いた石段です。帰蝶さまはもしかして歩いてみたのかな?
岐阜城とどちらが急でしょうか?
城への道なのに一直線! 常識を超えた安土城の大手道
小説『江(ごう)ー姫たちの戦国』(田渕久美子著)の冒頭にも、お市の方と浅井三姉妹が、確かこの安土城大手道の石段を登るシーンがあったように思います。
私は登っている時ずっと、「通勤する人のことを考えてほしい!」と思いながら歩きましたが、よく考えてみれば安土城勤務の人たちは、多分半数以上は住み込みと思われるので、毎日通勤する必要はなかったのでしょう。
この大手道は、賓客など「選ばれし者」のみが通ることを許されたとも言われています。
一直線の道なんて、城にはふさわしくありません。
姫路城はもっと曲がりくねっていて、進んでも進んでも、天守にはたどり着けないような感じがしていました。
安土城は「防御」という点は全く考慮する必要がない、という思考で設計されたのでしょうか。
誰からも攻められることなどない、という自信の現れかな? いかにも「天下人」信長の城という感じがします。
この過剰なまでの自信が、「本能寺の変」の遠因なのでしょうか。
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