山崎の合戦古戦場は公園になっていた
2019年2月17日(日)、京都市右京区にある愛宕神社に参拝した後、
山崎の合戦の舞台を訪れました。
NHK大河ドラマ『麒麟がくる』(多分最終回)では、この合戦はどのように描かれるのでしょうか。
古戦場は現在の、京都府乙訓郡大山崎町「天王山夢ほたる公園」のようです。
公園にある古戦場を示す石碑。
案内板も充実しています。
『山崎の合戦図屏風』に描かれた、円明寺川(現在の小泉川)を挟んで対峙する光秀軍と秀吉軍。
現在では、こんな小さな川になっていました。
光秀の見た景色は、今とは大きく違っていたのかな?
光秀の本陣跡推定地1 境野1号墳
山崎の合戦での明智光秀の本陣「御坊塚」として推定される場所が、2つありました。
1つは大山崎町の、境野1号墳。サントリー京都ビール工場のすぐ裏手にありました。
案内板も設置されています。戦場を見渡す必要から、古墳は本陣として最適だったのでしょう。
車輪石(しゃりんせき)・石釧(いしくしろ)などの石製品や鉄刀など前方後円墳の副葬品と共に、火縄銃の鉄砲玉も出土したそうです。
今では古墳の面影はありませんが、他の土地よりも盛り上がっているのは確かでした。
『ブラタモリ』なら、もっと色々解説してくれそうな高低差ですね。
光秀の本陣跡推定地2 恵解山古墳
明智光秀の本陣跡として、もう1つ有力なのが、京都府長岡京市の恵解山(いげのやま)古墳。
先程の境野1号墳よりも、さらに合戦場とは隔たっていました。
こちらはまずなんと言っても、古墳が立派! ずらりと並ぶ円筒埴輪が印象的です。
円筒埴輪だけでなく、水鳥のような埴輪もありますね。5世紀前半(古墳時代中期)の築造と推定されています。
京都府南部の乙訓(おとくに)地域最大の古墳らしく、国の史跡に指定され、古墳公園になっていました。
前方後円墳で、後円部分の高さは8m、前方部分の高さは6.5mと、これも戦場を見渡すのに十分な高さです。
合戦の舞台はあの辺りかな?
被葬者は、桂川・木津川・淀川という3つの川が合流する水陸交通の要衝であるこの地域を支配していた自分の権力の強さを、往来する人々に見せつけていたようです。
当時の貴重品である鉄製武器(刀・剣・槍・矢など)約700点が、木の箱に埋められていました。
大王(おおきみ)との関係も深い有力者だったかも知れませんね。
明智光秀ゆかりの地に興味があって訪れたのですが、期せずして素敵な古墳とも出会うことができました。
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