『麒麟がくる』ゆかりの地・明智光秀の胴塚と首塚 首塚は代々和菓子屋が守っていた!

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明智光秀の胴塚

2019年2月24日(日)、NHK大河ドラマ『麒麟がくる』の主人公・明智光秀が最期を迎えたとされる地を訪れました。

『麒麟がくる』ゆかりの地・明智光秀が最期を迎えたとされる小栗栖の明智藪と本経寺

2021.02.07

伏見区小栗栖(おぐるす)の明智藪(光秀が命を落とした場所)や、供養塔のある本経寺を訪れた後、私達が訪れたのは「明智光秀の胴塚」。

京都市山科区にありました。

道路沿いをてくてく歩いて25分ほど。歩いている人がいないので、不安になる道でした。

そんな道路脇に、立派な石碑が建っていました。

昭和45年に建てられたと石碑に刻まれているので、先ほど見た明智藪近くの本経寺供養塔よりも古いです。

この石碑よりも前に、光英の善政を慕った亀岡の人が石塔を建てたそうですが、開発により今の姿になったとも言われています。

明智光秀の首塚

明智光秀の首塚は、そこからかなり離れた場所にありました。

徒歩では少し無理なので、まず京都市地下鉄の小野駅まで歩き、同じ東西線の東山駅で下車。

そこから徒歩で首塚までは2分ほどでした。

4カ国語で書かれている!説明板によると、明智光秀は家臣に介錯され、家臣が知恩院の近くまで来たけれど夜が明けたため、この地に首を埋めたそうです。

でもせっかく隠した胴体や首は秀吉軍に発見され、東海道や中山道につながる粟田口で晒されたとも言われています。

粟田口に近いこの場所に首は埋められ(胴体はどうしたんだろう?)、塚の上に五重の石塔が建てられたそうです。

これかな?

石塔のそばにはお堂もあり、近くの和菓子屋「餅寅」さんが、代々守ってこられました。

以前は別の場所にあったのですね。

貴重な古い写真もあります。

明智光秀の子孫として本を出されている、明智憲三郎さんのポスターもありました。実際にこちらに足を運ばれたそうです。

お堂の扉は固く閉ざされていましたが、

中の様子を紹介した写真がありました。

黒い明智光秀の像です。位牌もありました。

こうして代々、大切にお祭りされているところを見ると、明智光秀に同情する人も少なくなったのだと思えました。

明智光秀の首塚を守った和菓子屋「餅寅」

最後に紹介するのが、この首塚を代々守ってきた和菓子屋の「餅寅」さん。

首塚に行く通りの角にある、白川沿いの和菓子屋さんです。

とても愛想のいい奥様が、接客してくださいました。

よく見ると、有名人のサインも! 『麒麟がくる』で軍師官兵衛を演じられた濱田岳さんも来られていたのですね!

名物はその名も「光秀饅頭」。パンフレットも詳しくて、光秀ファンならきっとうれしくなるだろうなと思いました。

光秀の霊もきっと満足していることでしょう。

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