『麒麟がくる』ゆかりの地・備中高松2 備中高松城址公園で戦いと清水宗治を偲ぶ

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2つの高松城

NHK大河ドラマ『麒麟がくる』最終回でも紹介された、備中高松城の水攻め。

この舞台になった城は「高松城」という名前ですが、香川県の県庁所在地である高松にも「高松城」があるため、備中高松城と呼ばれています。

2013年6月の梅雨の合間に、備中高松城を訪れました。

『麒麟がくる』ゆかりの地・備中高松1 備中高松城主・清水宗治最期の地

2021年2月15日

舟橋や妙玄寺などを見学した後、いよいよ備中高松城跡の見学です。

備中高松城は、江戸時代初期の1615年に一国一城令が出されると廃城となり、現在では残念ながら、城の痕跡はあまり残っていません。

城跡周辺は整備されて、城址公園になっています。

そして城跡と水攻めの堰堤跡は「高松城跡 附:水攻築堤跡」として、国の史跡に指定されていました。

高松城址公園資料館と「水攻音頭」

公園にある蔵のような建物が、高松城址公園資料館

一見小さな資料館ですが、内容は充実しています。

城のジオラマ。城がびっしりと秀吉軍に囲まれているのがよくわかります。

水攻めを描いた絵巻や、

城兵の命を救うため切腹を望んだ城主・清水宗治の像(備前焼)や

彼の書状などもありましたが、

一番驚いたのは下の写真。

1985(昭和60)年の大雨の際、高松城址(赤い矢印)だけを残し、周囲が水没している写真です。

まるで現代に甦った「備中高松城水攻め」ですね。やはりこの辺り一帯は、今でも低湿地なのです。

資料館の外には、「水攻音頭」という曲の歌詞が紹介された看板もありました。

タイトルに驚きながらも歌詞をよく見ると、清水宗治側に立った内容です。

5,000人の城兵の命を救うために、自らの命を犠牲にした彼は「武士の鑑」と歌われているのですね。

彼は地元の人に、今でも愛されている英雄でした。

今でも実際にこの「水攻音頭」は、地元で歌ったり踊ったりされているのかな?(看板によると振付もありました)

清水宗治首塚と宗治蓮

城址公園のには、他にも清水宗治関係の見所がありました。

まずは「清水宗治首塚」。

前回紹介した、妙玄寺の供養塔よりも少し質素ですが

辞世の句碑もありました。

この首塚は元々別の場所にあったのですが、後に本丸跡のこの場所に移されたそうです。

そして公園の池には、花菖蒲や宗治蓮など、多くの花々が咲くそうです。

今は6月だから、蓮はちょっと早かったかな。

この蓮は、公園整備で沼を復元したときに、自然に生えてきたのだとか。

案内板に書かれているように、400年も地下に眠っていた蓮の花が咲いたら、清水宗治もきっと喜んでくれるでしょうね。

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