2つの高松城
NHK大河ドラマ『麒麟がくる』最終回でも紹介された、備中高松城の水攻め。
この舞台になった城は「高松城」という名前ですが、香川県の県庁所在地である高松にも「高松城」があるため、備中高松城と呼ばれています。
2013年6月の梅雨の合間に、備中高松城を訪れました。
舟橋や妙玄寺などを見学した後、いよいよ備中高松城跡の見学です。
備中高松城は、江戸時代初期の1615年に一国一城令が出されると廃城となり、現在では残念ながら、城の痕跡はあまり残っていません。
城跡周辺は整備されて、城址公園になっています。
そして城跡と水攻めの堰堤跡は「高松城跡 附:水攻築堤跡」として、国の史跡に指定されていました。
高松城址公園資料館と「水攻音頭」
公園にある蔵のような建物が、高松城址公園資料館。
一見小さな資料館ですが、内容は充実しています。
城のジオラマ。城がびっしりと秀吉軍に囲まれているのがよくわかります。
水攻めを描いた絵巻や、
城兵の命を救うため切腹を望んだ城主・清水宗治の像(備前焼)や
彼の書状などもありましたが、
一番驚いたのは下の写真。
1985(昭和60)年の大雨の際、高松城址(赤い矢印)だけを残し、周囲が水没している写真です。
まるで現代に甦った「備中高松城水攻め」ですね。やはりこの辺り一帯は、今でも低湿地なのです。
資料館の外には、「水攻音頭」という曲の歌詞が紹介された看板もありました。
タイトルに驚きながらも歌詞をよく見ると、清水宗治側に立った内容です。
5,000人の城兵の命を救うために、自らの命を犠牲にした彼は「武士の鑑」と歌われているのですね。
彼は地元の人に、今でも愛されている英雄でした。
今でも実際にこの「水攻音頭」は、地元で歌ったり踊ったりされているのかな?(看板によると振付もありました)
清水宗治首塚と宗治蓮
城址公園のには、他にも清水宗治関係の見所がありました。
まずは「清水宗治首塚」。
前回紹介した、妙玄寺の供養塔よりも少し質素ですが
辞世の句碑もありました。
この首塚は元々別の場所にあったのですが、後に本丸跡のこの場所に移されたそうです。
そして公園の池には、花菖蒲や宗治蓮など、多くの花々が咲くそうです。
今は6月だから、蓮はちょっと早かったかな。
この蓮は、公園整備で沼を復元したときに、自然に生えてきたのだとか。
案内板に書かれているように、400年も地下に眠っていた蓮の花が咲いたら、清水宗治もきっと喜んでくれるでしょうね。
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