尼崎ゆかりの文化人
2019年4月に、「平成最後の城」尼崎城を訪れた私達。
せっかくなので、周辺をもう少し歩いてみると、立派な石碑がありました。
江戸時代の僧侶で、万葉集の研究を行った国学者の契沖(けいちゅう)という人物に関する碑のようです。

「尼崎ゆかりの文化人」というと、尼崎市にも墓がある(2基あるらしい)近松門左衛門が有名ですが、契沖も元禄時代の文化人として重要な人物。

尼崎は彼の出生の地は、尼崎城の近くとされています。

寺町にも契沖の歌が刻まれた石碑があり、大事に顕彰されているようでした。
あの「数珠丸恒次」を所有する寺院も!
寺町を歩くには、「あまがさき公式観光サイト」作成のモデルコースもありますが、阪神尼崎駅から南側のわかりやすい一帯なので、気ままに歩くのもいいかもしれません。

駅の近くなのに大寺院が多いせいか、とても静かで別世界のような空間。自動車もあまり通らず、散歩にはもってこいです。
尼崎城から訪れたので、まず目についたのが、曹洞宗の全昌寺。

初代尼崎藩主・戸田氏鉄(うじかね)が近江の膳所(ぜぜ)から尼崎に移った際、この地に建てられました。寺町で唯一の曹洞宗の寺院だそうです。
その隣にあるのが、法華宗四大本山の1つ・本興寺。

立派な建物だなと思っていたら、国の重要文化財に指定されているそうです。さすが本山。

今回見ることはできませんでしたが、なんとこの寺院には、日蓮聖人の守り刀・数珠丸が所蔵されているのだとか!
平安末から鎌倉前期に活躍した刀工・青江恒次によって作成されたため、「数珠丸恒次」と呼ばれ、なんとあの「刀剣乱舞」という大ヒットゲームにも登場するそうです。
毎年11月3日の「虫干し会」の日に限り、公開される名刀。いつか見てみたい!
秀吉に切腹させられた佐々成政の墓
なかなか寺院の門をくぐる勇気のなかった私達ですが、浄土宗の法園寺には入ってみました。

この寺に、戦国大名として有名な佐々成政(さっさなりまさ)の墓があります。
柴田勝家に与したり家康と親しくするなど反秀吉的でしたが、秀吉の九州攻めに手柄を立て、肥後一国を与えられました。
しかし検地を行おうとして大規模な肥後国人一揆を引き起こし、自力で鎮圧できずに秀吉に謝罪するため大坂へ向かいますが、秀吉は面会を許さず、彼は尼崎に幽閉され、切腹を命じられました。

壮絶な最期を遂げた彼の墓は、寺の門を入ってすぐ左手にあります。
ユニークな仕掛けや特徴ある建物がある寺々
次に訪れたのは、法園寺に隣接する、尼崎最古の大寺院・律宗の大覚寺です。

建物自体は明治に火災で焼失し、再建を経ていますが、なんと聖徳太子時代にも遡るのだとか。

ここは節分に行われる狂言でも有名ですが、そのほかにも「芦刈からくり堂」や「船弁慶からくり御籤(みくじ)」など、面白そうな設備もありました(動いているところは見られなかったけれど)。

中世には市が立ったり、南北朝の動乱の頃には、室町幕府2代将軍足利義詮(よしあきら)がここに陣を敷いたりなど、重要な場所だったのです。
それにふさわしく、立派な建物が多いなと思いました。
隣接する日蓮宗の長遠寺(ぢょうおんじ)には、市内で唯一の多宝塔があり


桜が咲いていて、穏やかな気分になれる境内でした。
また、立派な鐘楼がある如来院(浄土宗)には

鎌倉時代の石の卒塔婆もあるそうです。気づかなかった!
秀吉伝説の舞台はどこ?
ところで尼崎と言えば、豊臣秀吉ともゆかりのある場所。
6月3日未明に本能寺の変を知った秀吉が、4日(もしくは6日)に備中高松を出発し、
7日もしくは8日に姫路へ、10日兵庫(神戸市兵庫区)、11日に尼崎へ到着しました。いわゆる「中国大返し」。
尼崎の寺で秀吉は、信長に哀悼の意を表するため髻(もとどり=まげ)を切ったとか、
急ぐあまり単騎となって尼崎周辺に来たところ敵に襲撃され、敵兵の目をごまかすために寺に潜入し、味噌すり坊主に化けて味噌をすっていたとの伝説があります。
この伝説の舞台となったのはどこだろう?と調べたところ、
私達が見逃していた、廣徳寺という寺院と判明。
この寺院は、室町11代将軍(足利義澄)の頃に起きた管領(幕府№2)細川家内部の権力争いに敗れた細川高国が、自害に追い込まれた場所でもあります(グーグルマップに情報あり)。
秀吉伝説の舞台にもなっていたのですね!
尼崎の寺町には、私達の知らない言い伝えがもっとあるのかもしれません。
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