『青天を衝け』ゆかりの地・深谷駅 「ミニ東京駅」と呼ばれる理由は渋沢栄一にあった

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東京駅にそっくりな深谷駅

2019年3月29日(日)、今年度のNHK大河ドラマ『青天を衝け』の主人公・渋沢栄一ゆかりの地を訪ねました。

目的地は埼玉県深谷市。渋沢栄一や彼の仲間たちが生まれた場所です。

埼玉県北部に位置し、群馬県とも境を接しています。東京駅からは、1時間半ほどかかりました。

ホームからの景色はこんな感じ。

1996年に建て替えられた深谷駅は東京駅にそっくりで、「ミニ東京駅」とも呼ばれているそうです。

なぜそうなったかというと、大正時代に東京駅(丸の内駅舎)を建設した際、深谷で製造された煉瓦が、わざわざ東京駅まで運ばれて使用された縁により、新しい深谷駅舎が東京駅のミニチュア版のようになったとのこと。

ただしこの深谷駅舎は煉瓦造ではなく、コンクリート壁面の一部に煉瓦風のタイルを貼っているとのこと。

上は、5年ほど前に撮影した東京駅丸の内駅舎です。

深谷駅の外観は撮影できなかったのですが(雪と慌ただしさのため)、写真を見比べてみると窓や尖塔、屋根のカーブなど確かに東京駅とよく似ています。

ではなぜ、東京駅から遠い深谷の煉瓦がわざわざ運ばれたのでしょうか?

実はこれに、深谷出身の渋沢栄一が関わっているのです。

パリやベルリンに負けない美しい街並みで、条約改正を勝ち取ろう!

幕末から明治にかけて最大の外交問題と言えば、学校の歴史の授業で必ず学習する「条約改正問題」が挙げられます。

明治政府は、なんとか条約改正を成功させようと躍起でした。

初代外務大臣に就任した井上馨(かおる)も、鹿鳴館外交と呼ばれる欧化政策で日本の文明化をアピールし、条約改正交渉に臨んだことで有名です。

その井上外相の欧化政策の1つが「官庁集中計画」。

政府の主要官庁を霞ヶ関付近に集中し、パリやベルリンに負けない計画的で美しいバロック建築風の街並みを造ろうとしたのです。

そのために政府が招いたドイツ人建築家ヴィルヘルム・ベックマンとヘルマン・エンデは、都市整備のためには良質の煉瓦と、それを製造する煉瓦工場が必要であると政府に進言。

しかし多量の煉瓦を製造する工場を建設するのは、当時の政府にはとても無理であり、実業界の大物・渋沢栄一に、大量生産が可能な日本初の機械式煉瓦工場の設立を要請しました。

栄一はこれを承諾し、工場建設地として瓦生産が盛んで良質な粘土を産出し、舟運の便も良い実家近くの上敷免村を推薦。

この地に栄一らは日本煉瓦製造株式会社を設立し、ドイツ人技士を招いて、1887(明治20)年に工場が操業を開始しました。

廃業後、文化財となった栄一の煉瓦工場

この会社で製造された煉瓦は、最初は舟運、後には日本鉄道(民間の経営)深谷駅から専用鉄道が工場まで敷かれ、鉄道で運ばれました。

東京駅(初代)の他、赤坂離宮(現 赤坂迎賓館)、日本銀行旧館、司法省(現 法務省旧本館)など、名だたる建物が、この会社の煉瓦で建設されました。

やがて井上外相の壮大な首都改造計画は、彼の外相辞任と共に頓挫し、最盛期には6基の釜が稼働していた工場も時代の波に押され、2006年、株主総会において自主廃業を決定し、清算されました。

しかし工場の諸施設は「旧煉瓦製造施設」として重要文化財に指定され、専用鉄道の鉄橋共々、深谷市によって管理されています。

今回は残念ながら、旧煉瓦製造施設は行くことができませんでしたが、「産業のインフラ整備」を大切にした栄一らしい施設だなと思いました。

今度深谷駅を訪れるときには、ぜひ外観の写真も撮影して(天気のいい日であってほしい)、旧煉瓦製造施設も訪れてみたいです。

 

 

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