『青天を衝け』ゆかりの地・深谷市渋沢栄一記念館 栄一の資料を見たいならここ!

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八基公民館が渋沢栄一記念館に! 地名からわかる村の変遷

2019年3月29日(日)、今年度のNHK大河ドラマ『青天を衝け』の主人公・渋沢栄一ゆかりの地を訪ねました。

『青天を衝け』ゆかりの地・尾高惇忠の生家 渋沢栄一と仲間たちが集った場所

2021年3月5日

『青天を衝け』ゆかりの地・深谷駅 「ミニ東京駅」と呼ばれる理由は渋沢栄一にあった

2021年3月4日

尾高惇忠の生家を見学した後、次に訪れたのは、八基(やつもと)公民館。

ここは現在、「深谷市渋沢栄一記念館」として、渋沢栄一に関する様々な資料を紹介しています。

僅か5分たらずのタクシー乗車時間にも驚きましたが、「八基」という地名も私には、とてもインパクトがある地名でした(八つ墓村を連想してしまいました)。

絶対なにか、この地名には由緒があるに違いない!と思って後で調べると、なんと、1889(明治22)年の町村制施行に伴い、栄一が生まれた血洗島村、尾高惇忠(新五郎)らが生まれた手計(てばか)村など8ヶ村は、大合併していたのです。

新しく誕生した村の名は、最初は「手計村」だったものの、すぐに「八基村」と改称。やはり1つだけ村の名前が存続することに、不満が出たのでしょう。

「八基村」は、8つの村が対等に合併しようとした歴史の証言なのですね。

公民館からは渋沢栄一の生家も近く、この辺りで栄一が遊んでいたかもしれないなと思いました。

さすが出身地! 渋沢栄一の貴重な資料

ここは無料にも関わらず、渋沢栄一に関する貴重な資料がたくさんありました。

ただ残念なことに、内部は全て撮影禁止。

よく渋沢栄一特集番組などで紹介される、若き栄一が作成した「藍玉製造農家の番付」と対面できたのには大感激。

荻野勝正著『尾高惇忠 富岡製糸場の初代場長』より写真を掲載させて頂きました。

藍の栽培農家を競わせることで全体として藍の品質を向上させ、自分はもちろん、農民たちも豊かになる!というのが栄一の考えです。

後に経済界で大成する栄一の目指す姿が、すでにこんな所に現れていますね!

大河ドラマのタイトル『青天を衝け』の由来となった、栄一が19歳の時に作った漢詩の拓本(実物は長野県佐久市の内山峡にある石碑)も紹介されていました。

これは、栄一が藍の販売で信州佐久地方を訪れた時のことで、彼の10歳年上のいとこ・尾高惇忠も同行して互いに詩を作り、後に2人はこの道中の様子を「巡信紀詩」という漢詩集にまとめたのだとか。

渋沢栄一の肉声やアンドロイドも!

栄一や関係者の写真、栄一の書などもたくさんあったのですが、驚いたのが栄一の肉声が聞けたこと。

さすが幕末から明治・大正・昭和初期まで生きた人だけあります! ちょっと感動。

私たちが訪れた昨年3月末には対面できませんでしたが、現在は渋沢栄一アンドロイドまで登場しているのだとか。

新型コロナウイルス感染拡大防止のため、現在博物館は見学予約制となっているようですが、とても見所の多い博物館だと思いました。

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