鎌倉時代の「執権」とは? 将軍と執権の違いを知ろう!

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鎌倉幕府の将軍は飾り物

『週刊少年ジャンプ』に連載が始まった『逃げ上手の若君』の舞台の1つは、鎌倉です。鎌倉時代末期から南北朝時代を描く、異色の時代設定で、主人公は14代執権の子・北条時行。

『週刊少年ジャンプ』連載『逃げ上手の若君』 日本の歴史を変えた若君とは?

2021.03.09

鎌倉と言えば、NHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』の舞台にもなりますね。こちらは2代執権・北条義時が主人公です。

どちらも鎌倉時代に権力を握った執権・北条氏が主人公になるのですが、この「執権」という役職は、鎌倉時代特有のもの。幕府の官職では№2になり、室町幕府では管領、江戸幕府では老中にあたると考えればいいでしょう。

鎌倉時代では将軍が幕府の最高位ですが、飾り物で全く実権はありませんでした(しかも多くは幼い子供)。

実際には幕府の№2である執権が、最高権力者。そしてこの執権には、代々北条氏が就任しました。

室町時代や江戸時代にも、ほとんど政治に関与しない将軍は何人もいましたが(NHK大河ドラマ『青天を衝け』に登場する13代将軍徳川家定など)、全員ではありません。政治やる気満々の将軍たちもいたのです。これが大きな違いでした。

執権って何?

ところで鎌倉時代をややこしくしているのが、「執権」という存在。

元々は平安末期から、役所の筆頭を意味する言葉として使われていたそうです。

しかし一般的には、鎌倉時代の最高権力者のことをさします。

頼朝の妻・北条政子の父で3代将軍源実朝の外祖父(母方の祖父)であった北条時政が、幕府内で政治を司る政所(まんどころ)のトップ(別当 べっとう)となったときに「執権」にも任命されました。

このとき政所には、時政の他に大江広元(おおえのひろもと)というベテランの別当もいたのですが、公私にわたり将軍を補佐する立場となった時政は、大江広元より一歩リード。

2代執権となった時政の子義時は、軍事を司る侍所(さむらいどころ)の別当だった有力御家人の和田義盛を滅ぼし、軍事権も手中に収めることに成功しました。

こうして北条氏は、御家人の一員でありながら、実質幕府の最高権力者となるのです。

将軍になる条件とは

ここで疑問なのが、なぜここまで権力を握った北条氏が、将軍にならなかったかという点。

これにはやはり「血筋」「血統」という問題が大きく影響していました。

当時の武士たちが棟梁(とうりょう 集団の指導者)として心から臣従できる人物というのは、血筋の高貴な人物(いわゆるセレブ)。

今でも「皇族」「華族の末裔」「大名の子孫」となると、マスコミが注目しますね!

私達も、かなり興味をそそられたります。やっぱり庶民はセレブ好き!

昔はもっともっと、「高貴な血筋」に対する憧れがあり、「源平藤橘」と呼ばれる源、平、藤原、橘一族でないと、武士の棟梁になれないと言われるほど。

源頼朝は、彼自身の政治手腕も優れていたけれど、「高貴な血筋」によるカリスマ的求心力もすごかったのでしょうね。

それに比べると北条氏は代々伊豆を拠点にしていた地元の豪族で、他の御家人たちと比べて特に血筋がいいわけではありません。

北条一族も、その点はよくわかっていたはずです。

その点、足利尊氏から始まる足利将軍は、れっきとした源氏の分家。将軍が独裁政治をやったとしても、誰からも文句は言わせません。

徳川家康の家系も(非常に怪しく、家系捏造説もあるのですが)、一応源氏一族らしいのです。

将軍になるのは、実力だけではどうしようもない、厳しい条件があったのですね!

農民出身なのがバレバレの秀吉も、将軍には、なれなかったのです。

北条氏の悲願は「皇族将軍」 血筋は尊い方がいい!

3代将軍・源実朝には子供が生まれず、幕府では将軍の養子として、皇族を迎える計画が進められていました。

実朝は和歌など王朝文化には優れた才能があるけれど、政治には興味がなく、飾り物の将軍。

どうせ養子が就任する次の将軍も飾り物。同じ飾り物なら、より尊い血筋の方がいい!という発想が、鎌倉の御家人たちの間にあったのかもしれません。

でも後鳥羽上皇の反対により、この計画は実現しませんでした。

この状況で実朝が暗殺され、源氏将軍が断絶すると、頼朝の血を少し受け継ぐ幼い藤原頼経(ふじわらのよりつね)が、4代将軍として京都から迎えられました。

しかし成長すると執権に反発し、京都に送り返されてしまいます。

頼経の子、頼嗣(よりつぐ)がその後将軍に就任しますが、父と同じ運命をたどりました。

そして遂に北条氏は、6代将軍から念願の皇族将軍を実現させます。多くは10代前半までに皇族が将軍として鎌倉に下り、20代までに辞任して京都に返されるというパターンでした。

鎌倉幕府は、将軍の血筋こそ源氏→藤原氏→皇族と変わるけれど、「高貴な血筋」という点では一貫していてブレていません。

「高貴な存在」をトップに据え、実権は№2が握るというのは、日本史ではよく見られる構図ではないかなと思います。

そう考えれば、ややこしい鎌倉時代も、面白く感じられるのではないでしょうか。

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